「医療業界はデータの宝庫」医師と患者の"想いを結う"。次世代の子供たちに繋げるために起業を決意したYuimedi CEO グライムス 英美里 氏が描く日本の未来

2021-03-30

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*2024年9月30日時点

医療×データ×患者との共同意思決定をキーワードに、医療リアルワールドデータの研究やエビデンスに基づく医療(EBM)の実施をサポートすることで、医療・ヘルスケアシステムのデータを一つに結う世界の実現を目指す会社として2020年11月に設立された株式会社 Yuimediの代表を務めるグライムス 英美里(Grimes Emiri)氏。武田薬品工業の開発者からキャリアをスタートさせ、スイスのチューリヒ工科大学で医学産業薬学のマスターを取得後にマッキンゼーでの経営コンサルタントを経て、今回Yuimediを創業された背景と今後のビジョン、これまでのキャリア形成及び意思決定の軸に迫ります。

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グライムス 英美里(Grimes Emiri)
京都大学薬学部卒業、薬剤師免許取得後に武田薬品工業株式会社へ入社。開発部門にて治験管理に従事後、産官学を通じた日本の医療システムの改善に興味を持ち、スイスチューリヒ工科大学にて医学産学薬学のマスターを取得。その後、マッキンゼーアンドカンパニーにて経営コンサルタントとして活躍し、2020年に株式会社Yuimediを創業。

目次

  1. 医療の世界を結うために、Yuimediが手掛けるデータの再利活用
  2. データに付加価値をつけることで生み出す優位性
  3. 医療、製薬業界ならではの規制が生み出す課題
  4. 医療データの可能性を感じたスイスの大学院での経験
  5. 薬学部での実習で感じた"医療の力"を広めるためのキャリア選択
  6. 市場の変化によって生まれている、製薬業界のデジタル化
  7. 2児の母親として、不安を抱えながら決意したマッキンゼーへの挑戦
  8. 専門性を生かし、子育てしながらモノを作りたい。全てを実現するために選んだ起業という道
  9. "日本だけではやっていけない"という価値観が芽生えた武田薬品時代。そして、繋がったキャリアの道
  10. 起業を決心した背景にある、「次の世代の子たちにとって日本がより良い世界になって欲しい」という想い
  11. CTOとの出会い、そして辿り着いたプロダクト構想
  12. 「チームはオーケストラだ。」 女性が働いていくためにも大切にする、組織のダイバーシティ
  13. 人生、働くを楽しむ人が集まった組織で目指す今後の展望

医療の世界を結うために、Yuimediが手掛けるデータの再利活用

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まず初めに、御社の事業内容について教えてください。

簡潔に言うと、「医療データを綺麗に整理して、それを利活用できるようにする」事業です。例えば、病院にある電子カルテには患者さんに対する診療や検査結果に関するデータが自然と蓄積されています。また、Apple Watchなどにもヘルスケアデータが蓄積されていますし、自身の手帳に記入する飲んだ薬の日記などもデータの1つです。

現在そのようなデータは、蓄積されているだけで整理ができておらず、標準化もできていないことが多いです。データとしての価値がブラッシュアップされきれていない状態です。

それを私たちがブラッシュアップし、分析できる形にします。さらに、このようなデータは匿名性が非常に大切な分野なので、通常よりもさらに複雑な匿名加工が必要になります。この部分を請け負うことで、患者さんのデータが透明性を持って、どこでどのように使われているのかがわかるシステムを開発しています。

また、これらのデータは新しい治療や新薬の開発など、患者さんのためになるテーマの研究に使われるので、医療機関や製薬会社の課題解決だけではなく、治療を受ける患者さんにも繋がっていきます。このような世界観の実現を目指し、医療・ヘルスケアの世界を1つに結うために、私とエンジニアの同僚のCTOで創業しました。

データに付加価値をつけることで生み出す優位性

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集めているデータの活用方法、アイデアが御社の競合優位性になっていきそうですね。

おっしゃる通りです。私たちも2つの軸で事業を考えていて、1つ目が医療機関にある先生方が持っているデータを整理すること。そして、2つ目が患者さんとデータを使って研究などを行いたいところ(医療機関や企業)を直接マッチングさせることです。

医療機関側のデータを集めている競合は複数社ありますが、ヒアリングをしてわかったことは、集めてきたローデータが一部抽出された上でそのまま渡されているということが多く、一見まとまったように見えるデータでも、研究計画に入っている本当に欲しいデータが入手できていなかったり、フォーマットが違いすぎることでクリーニングに多大な時間を要していたりと、分析を行う過程で大変な思いをしているということです。

例えば、糖尿病のケースで言うと、実際に使用したインスリンのロット数が知りたいのに、そのデータは元となる電子カルテには記載されておらず、患者さんの手元の資料にしかないといったことがあります。そのような現場の課題を解決するために、私たちはデータを綺麗にするだけでなく分析側の欲しているデータを患者から直接集めるシステムを作る、つまりローデータに付加価値をつけて提供することで、競合優位性を図っています。

付加価値とは具体的に、どのようなことですか?

医療機関にあるデータに患者さんしか持っていないデータをつなげることです。どんな人でも自分自身の記録が貯められる"パーソナルヘルスレコード事業"を展開し、記録を貯めると同時に、患者さん自ら製薬会社や研究機関などが実施するリアルワールドデータの研究に参加できるような仕組みを作ることで付加価値をつけていくことができると考えています。

現在想定しているのは慢性小児疾患や難病など、現在適切な治療方法が見つかっていない患者さんです。自分の提供したデータによって、研究が進んでいることが手に取るように分かるようなシステムを作ろうとしています。データが使われた数に対して、何かしらのインセンティブとしてキャッシュバックに繋げるシステムや、"自分のデータを直接分析会社や研究機関に売れる"ような仕組み作りにもチャレンジしていきたいと考えています。

医療、製薬業界ならではの規制が生み出す課題

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これまで他の企業はなぜ、同じような事業を展開できていなかったのでしょうか。

実は、製薬企業なども近しいサービスを作ろうとしています。ただ、個人情報保護や健全な事業提供の側面から非常に規制が厳しい業界なので、自社でサービスを作っても「他社の薬のデータを使ってプロモーションをしてはいけない」「直接患者さんにアクセスをしてはいけない」という制限などがあるので、実際にやれることは限られてしまうんです。

そこで私たちはあえて、「治りたい患者と治したい医療機関・企業をつなぐ」という立場に絞ることで可能となるサービスがあるのではと考えました。そうすることで、より細かいデータを扱うこと、そして手技や処方データと治療効果・アウトカムとの関連性をより深く見ることができるような事業を展開できるのではないかと考えています。

業界ならではの規制にフォーカスし、立ち位置を考えられているのには驚きました。

マーケティングの文脈でも、医療用医薬品は医師が処方を決める方法以外で患者さんに直接販売をしてはいけないという規制があり、薬の効果の口コミを出すなど、普通の商品のように一般の人がこのサービスが良いと宣伝することは禁止されています。

例えば、「XX製薬が特定の病気患者さんのためにサービスを作りました」と公表したとすると、患者さんからは特定の薬のプロモーションやセット販売に見えてしまう可能性があるため、そうならないように非常に細かなサービス内容の設定・限定をしなければなりません。また、他社の処方データと自社のサービスデータ同士を組み合わせて公表するなどということも難しいので、せっかく患者さんから直接データが集まる良いアプリがあったとしても、規制によって、"いつ・どこで・どういう症状が起きたか"という簡単な日記にしかならないという現状もあります。どの薬を飲んだら症状が楽になったかというデータまでは繋げることがなかなかできていない、というような課題があるんです。

どこまでがOKで、どこからがNGなのかという規制ラインの見極めが難しいところですね。

規制が非常に厳しく難しい業界だということに加えて、医療情報は要配慮個人情報に当たるので、個人情報まわりの規制もたくさんあります。そういうところをサポートするような企業が必要なのではないか、と感じていたことも起業のアイデアに繋がっています。とはいえ、私たちもまだ勉強途中のところはありますので、確実に大丈夫だと言えるように、弁護士の先生および規制当局の専門家などに相談しながら1つずつクリアにしていき、実現可能な事業を日々考え続けています。

医療データの可能性を感じたスイスの大学院での経験

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武田薬品でのキャリアを経て進んだ、スイスチューリヒ工科大学

選定された事業ドメインに対する想い、いわゆる「Why You」の部分がとても強いと感じていますが、その想いはどこからきているのでしょうか。

元々データや分析が好きで、スイスの大学院に通っていた時も、修士研究の際に、データサイエンティストがやっているようなデータ分析・活用などを行っていたこともあり、その経験が影響しているのかもしれません。その研究では、製薬企業とスイスの病院との共同研究で、多発性嚢胞腎という指定難病の患者さんを対象としたリアルワールドデータを利用した薬の効果の検証を行っていました。患者さんの経時的変化に応じた疾患のグレードと症状変化を記載したレポートを患者向けに作りました。

具体的には、薬を飲んで症状の悪化が緩やかになった人の割合を研究し、患者さん向けには今のグレードはこれくらいで、このままだとどれくらい悪化するリスクがあり、薬を飲むとどれくらい低減される可能性があるということなどが書かれたレポートを電子カルテから自動的に作成する機能のソフトウェアを作りました。それを研究テーマにマスターの論文として発表し、また研究だけでは終わらず、実際にそのソフトウェアを病院に提供することまで実現することができたんです。その後、日本に帰国しましたが、それを制作している時がとても楽しかったことを今でも覚えています。

研究テーマが実際に現場で使われたことは、とても貴重な経験ですね。

"医療はデータの宝庫"と言ったらおかしな言い方かもしれないですけど、使い方によっては、患者さんにも今後の治療にも、メリットを生むことができます。本来はもっと活用されるべきなのに、医療に関するドメインの知識とエンジニアのスキル両方を兼ね備えた人材がそもそも少ない。やりたいと思っていても、医療の専門家だけ、もしくは医療・ヘルスケアに関して経験がないエンジニアだけではなかなか参入しにくい業界だと考えています。

"その間を繋ぐ"人材が現在不足しているというのは周知の事実です。私たちはその課題を解決する企業でもあり、そのような人材を育成していく企業にもなっていきたいと思っています。

スイスの大学院に行く前には、データを分析することに関心はなかったのでしょうか?

そういった意味でいうと、武田薬品にいた頃からデータに関わっていたのかもしれないです。武田薬品には新卒で入社しましたが、臨床開発部というところで、治験に関するデータのクオリティマネジメントを担当していました。治験は人の命に関わることなので、非常に高いレベルで慎重にデータを集めることが求められます。在籍していた3年間では、それ以外にも「どのような患者さんにどこの病院で治験に入って頂くか」ということに対する戦略立案や、治験のセーフティーがしっかり担保されているかの管理、日々の関係者との調整なども行いました。

薬学部での実習で感じた"医療の力"を広めるためのキャリア選択

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京都大学では研究や臨床実習で、薬の大切さを実感

学生時代についてもお伺いさせてください。なぜ、大学では薬学部に進学されたのでしょうか。

昔、私自身が若い時に病気になった経験があり、その際に日々薬を飲まなければいけない状況を実際に体験したので、患者としての視点や考え方を自分ごととして捉えることができました。そこで、農学や植物の研究をするのであれば医学に携わりたいなと思い、ただ医者は少し手術が怖かったことと家族からの勧めで薬学部を選びました(笑)。

薬学部では、病院や薬局で半年程度の実習があります。実際に臨床の現場に出て、末期の患者さんや若くして病気になった患者さんを直接目で見て会って感じたことは、"医療、そして薬の力"です。

その臨床現場で特に興味を持ったのが難病でした。当時の製薬会社は、患者数が少なく売上があまり上がらない領域の薬には力を入れていないのではと学生ながらにニュースなどをみて感じており、どうにか声が届きにくい難病患者さんの薬の開発に携われないかと思ったんです。

難病の薬を研究するために、新卒では武田薬品工業株式会社へ?

実は、難病の患者さんの声を世の中に伝えることで、製薬会社が薬を作ってくれるのではないかと思い、マスコミに進むことも検討していたんです。結局は縁があって武田薬品に入りましたが、実際に入社して業界のフタを開けてみると、市場の変化が起きている最中だったことにとても驚きました。

当時、ほとんどの製薬会社は生活習慣病など患者数が多い領域に注力しているように見えましたが、市場が豊潤化したことでそれぞれの会社で差別化が難しくなり、より専門的な領域に対象を当て始めていたので、世の中的にも事業としても患者数が少ない疾患領域での新薬作りへの注力が行われそうな雰囲気を感じていました。今振り返ると、もしかしたら自分が病気になったこともそうですし、家族の声から薬学部に入ったことも、キャリア選択に全部繋がっているのかもしれません。

市場の変化によって生まれている、製薬業界のデジタル化

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売れる=患者数が多い薬しか作らなかったところから、少しずつ変わってきていた。その流れというのは、どこから影響を受けていたのだと捉えていますか。

国としての動き、企業戦略の両方からきていると思います。国としては、希少疾患用の薬の承認を早くするという優先事項を作っていますし、製薬会社でいうと、新しく作る薬として約半分は癌に対する薬、残りの半分は神経、免疫、循環器、泌尿器、精神領域などの各社の棲み分けがありますが、それに加えて難病に関する薬も入ってきました。

また、この流れは最近の"製薬会社関連では買収のニュースが多い"ということにも繋がっています。難病に対する薬の開発は、自社で行うと費用も高く専門性も高いので、バイオテックの特化した技術を持っている会社を買収する、もしくは大学の研究から生まれた企業を買収するケースが増えています。

スタートアップでも産学連携型起業や大学発企業が増えています。

そして面白いことに、業界の動向として今、デジタルが入ってきています。世界的にも、薬だけで提供出来る価値に限界が徐々に見えてきているということは製薬等の業界としても共通認識となっておきており、そこに付加価値を付けるのは何なのかというと、それは患者さんのライフスタイル全体を改善する"デジタルサービス"だという概念が広まってきています。

例えば、飲み忘れが多い薬を毎日忘れずに飲むようにリマインドをすることでより治療効果が上がるということがわかったら、その薬を毎日飲んだかわかるようなデバイスを一緒に提供するということが考えられます。極端な話、センサーみたいなもので薬の摂取を補助したり、捨てた回数をIoTのゴミ箱で計るなど。また、単純に高血圧や糖尿病だと毎日の血圧や血糖値の確認が大事なので、患者さんと先生にもアプリを提供し、薬の効果がしっかり出ているかを追えるようなサービスを提供するといった付加価値を付けるなどです。市場の変化による改善が感じられ、非常に興味深いです。

グライムスさん自身が市場の変化を感じたのはいつ頃ですか?

武田薬品にいた頃は深く理解できていませんでしたが、その後に通ったスイスの大学院で強く感じました。スイスはグローバルで見ても、製薬会社の本社が多くある場所ということもあり、大学の授業でも製薬会社の構造全体を理解するような内容だったり、各企業の分野の部長レベル以上の現場のトップが授業に来てくれるので、業界の最先端の話を聞くことができ、業界全体の構造を理解することができました。

2児の母親として、不安を抱えながら決意したマッキンゼーへの挑戦

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スイスの大学院卒業後は様々な選択肢があったかと思います。その中で、マッキンゼーに行かれたのはどうしてでしょうか。

私が武田薬品に入社した頃、製薬会社では構造変革が起き、さらには人事変革も起きていました。開発拠点を海外に移したり、買収などによる人員整理を行っており、それを手伝っているのが戦略コンサルであるとの話を耳にしました。

私のいた武田薬品でもかなり大きな人事変革が起き、当時の同期の多くから会社に残るか去るかという苦しい決断をした話を聞いていました。当時の戦略コンサルでは戦略の部分のみに関わり、オペレーション以降は事業会社に任せるということが主流でしたので、オペレーションを任された事業主側が大変な苦労をするというのを目の当たりにしました。どうにか、オペレーションまで携われるような戦略のコンサルタントになれないかと思い、マッキンゼーがRTSというオペレーションの実行フェイズまでサポートするサービスを実施していると聞き、興味を持ちました。また、マッキンゼーでは、ヘルスケア領域や製薬会社の業界だけに捉われず、あらゆる業界のあらゆる分野での戦略作成を経験できるため、様々な業界や企業の組織改革に関わってみたいという個人的な思いも一致したので入社しました。

マッキンゼーに入ったのはいつ頃ですか?

2018年の9月です。もう1つ入りたいと思った理由は、女性として尊敬できるロールモデルのパートナーの方に出会ったことです。私は、今は2歳ともうすぐ4歳になる子供の母親なのですが、採用された当時は子供が1人いて、2人目を妊娠中でした。子供がいたり、妊娠している状態で働いている状態で中途社員として働けるのだろうかという不安がありましたが、最終面接官だった女性のパートナーの方が色々な不安を聞いてくださり、はっきりと「問題ない」とおっしゃってくれました。当時まだ子供がいる中途の女性コンサルタントは少なかったのですが、さまざま取り組みでダイバーシティーを増やそうとしているマッキンゼーの取り組みには非常に心惹かれるものがありました。

実際に入社してみて働き方はどうでしたか?

システムは非常に整っていたのですが、カルチャーとして男性や若い方が多かったので、自分の状況を理解してもらう部分に対して大変だと感じることも多くありました。ただ、会社全体として変わっていこうとしているのがひしひしと伝わり、私も当事者の一員として少しは会社のダイバーシティ促進に貢献することができたのではないかと思います。

大きい企業だと仕組みや考え方を変えるのは難しいイメージですが、どうでしたか?

仕組みは変えてしまえば済む話なのですが、カルチャーを変えていくのにはどういった企業でも時間がかかると思います。武田薬品にいた頃と比べて、マッキンゼーではチームの平均年齢が若かったなど、ダイバーシティといっても、男女だけでなく国籍や年齢などさまざまな面での意味があると思います。そういった中で、企業の元々築いていたカルチャーを明日からすぐに変えようといっても難しいので、日々の中でそれぞれが相手を理解する努力によって少しずつ変化するものなんだなと感じました。マッキンゼーで良いと感じたところは、誰もが変化を恐れていないところです。時間がかかるとわかっていることでも、果敢に会社として取り組んでいく姿を見て、とても良い会社だなと感じました。

専門性を生かし、子育てしながらモノを作りたい。全てを実現するために選んだ起業という道

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子育てと仕事を両立するために、周りの理解を得ることは重要なことですよね。

はい。子供の送り迎えがあるので、遅くとも8時半に保育園に行き、18時半には迎えに帰らないといけないですし、その後も早く寝てくれたら夜に時間が取れるかどうかという時間の使い方になっていたので、チームの理解を得ることが必須でした。幸いにも非常にご理解ある方ばかりと働かせていただけたのでものすごく助かりましたが、社内だけでなく、特に男性の割合が高い業界などではクライアント側にも理解していただく必要もありました。マッキンゼーだけでなく社会全体が変化していかないと難しいということを感じました。

カルチャーチェンジの難しさを感じたことが、マッキンゼーを離れることに繋がったのでしょうか。

カルチャーチェンジの難しさというよりは、子育てと仕事のバランスを自分の好きなように調整したいと思ったことがきっかけでした。マッキンゼーはすごくシステムが整っており、かなり居心地が良い会社でしたし、お世話になったパートナーや他のメンバーとずっと一緒に働きたい気持ちもあったのですが、上の子供が幼稚園にいく年齢になって、どうしても迎えの時間が昼間に発生してしまうようになり、毎日昼間に抜けることができる仕事をしたいと感じたのがきっかけです。

マッキンゼーはかなりフレキシブルな対応をしてくれる会社でしたので、誰かに相談したらおそらくどうにか考えてくれたであろうと思いますが、他の人に迷惑をかけず、コロナ禍かどうかにかかわらず基本完全在宅で、かつ働く時間が完全にフレキシブルな仕事をしたいという、子育てと仕事を思い通りのバランスにしたいという非常にわがままな気持ちが子供の成長をきっかけに芽生えました。

もう1つ志向性の観点でいうと、私は元々メーカー(製薬会社)出身なので、何かモノを作り誰かの元に届くことで、誰かが幸せになるということの実感できる立場が好きでしたので、人生の中で新しいモノを1から作ってみたいと思いました。その中で自分の専門性が最大限に生かされる職業であればいいなと感じたのがもう一つのきっかけです。

"日本だけではやっていけない"という価値観が芽生えた武田薬品時代。そして、繋がったキャリアの道

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武田薬品時代に特に印象に残っていることはありますか?

武田薬品では、入社1年目の時に当時の部長ととても仲が良かったんです。その方に採用してもらったということもありましたが、まず1つは"グローバルをベースにした思考"、つまり日本だけではやっていけないという価値観を教えてもらいました。

実際に彼がシカゴオフィスに赴任している時に、私含めた同期3人を招いてもらったことがありました。「シカゴではどういう働き方をしていて、グローバルではどういう人が活躍していて、この流れが日本に降りてきているんだよ」ということを実際に現地で体感させていただいたんです。部下が1000人単位でいるような立場の臨床開発部の部長でしたので、その目線での考え方は非常に参考になり、今思えば彼に影響を受けて日本から海外に出てみようと思いました。

それでスイスへの大学院への進学を決めたのですか?

製薬業界では、グローバルで意思決定をする傾向が強くなり、日本からの発信が以前と比べて時間がかかるように感じました。当時は、なんでそうなってしまったのかと非常に悔しい思いを感じましたので、グローバルの視点から一度業界全体を勉強したいと製薬会社本社が多いスイスの大学院に行こうと決意しました。日本と海外でのシステムの違いや考え方の違いを学べたのはとても良い経験でした。

また、もう一つ海外に出て感じたことは日本の経済が以前と比べて下がってきているのではないかという不安でした。他の国での日本円の通貨価値が想像していたより低いと感じることが多くあり、このままでは日本はどうなってしまうんだと危機感を持つこともありました。日本の経済と教育システムをより発展させていく必要があると強く痛感しました。

起業を決心した背景にある、「次の世代の子たちにとって日本がより良い世界になって欲しい」という想い

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海外での経験から日本経済全体への危機感をもった。

日本の経済を良くし、海外でも戦えるようにするためには、新しく生まれた企業や事業に携わっていくことが必要だと考えるようになりました。そういった企業の成長に貢献していきたいと思うようになり、会社を辞めようと思ったタイミングで、新しく生まれた企業の支援ができる立場としてのベンチャーキャピタルへの転職、もしくは自分自身での起業を検討しました。

そのタイミングで、弊社の代表である志水雄一郎とお会いされたんですね。

人生で一度はヘルスケア分野でプロダクトを作って、課題解決に向けて事業をやりたいと思っていたところと、日本の課題感についてお話をしたことで志水さんと意気投合し、インキュベイトファンドの村田さんと引き合わせしていただきました。

起業をする勇気を持てたのは、インキュベイトファンドのGP村田 祐介さんの存在がとても大きかったです。私だけで事業アイディアを考えて起業するのは無理でした。村田さんが初期段階から壁打ちをしてくれたお陰で構想が固まりましたし、これまで数々の素敵なスタートアップ企業に投資をした村田さんに応援してもらっているということは精神的にも大きな後ろ盾になりました。

最終的には、30代になったばかりで子供も2人目が生まれたタイミングだったので、自分自身でプロダクトを作り、リスクをとってチャレンジするなら今しかないと思い、起業を決意しました。子供が生まれてから感じていることは、"次の世代の子たちにとって、日本がよりよい世界になって欲しい"ということです。

CTOとの出会い、そして辿り着いたプロダクト構想

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起業を決意した当初から現在の事業やプロダクトに対する構想はイメージされていたのでしょうか。

村田さんと初めてお会いして以降、アイデアベースでMTGを重ねて毎週数個ペースで案を出し市場リサーチをし、細かな違いで見ると100個以上の案が出てきたと思います。事業構想が少しずつ固まってきたタイミングで、そのサービスを作るためには、そして事業成長させるためには、良いエンジニアを採用しなければいけないという話になり、エンジニアを探すことになったんです。

紆余曲折あり、現在の共同創業者兼CTOと出会ったのですが、当時作ろうとしていたサービスについて伝え、実際に作り始めてもらってみたところ、途中でこれでは必要としている人がいるか分からないと言われてしまって(笑)。「どうしてこれまでの経験や製薬会社の方との関係を生かすことができるプロダクトじゃないのか」と。そこから再度アイデアを見直した結果、今のプロダクトに行き着きました。

御社CTOは欧米で起業を経験するなどグローバルに活躍されており、さらに様々な会社でテックリードとしても活躍されていましたね。エンジニアの中でも非常に稀有な経験をされている優秀な方ですが、どうやって口説いたのですか?

知り合いに声をかけてもらった中で、「元同僚の友人から良い人がいるからその人に色々聞いてみたら」と言われ、エンジニアを紹介してもらうために話をしたのがきっかけでした。ただ、実は彼も転職を検討しているという話になり、それだけでなく、医師家系という家庭環境の中、彼だけがエンジニアだったので、今後チャレンジしたい領域としてヘルスケア分野に関心があったことから意気投合。相性が良かったのだと思います。

起業経験もあり、他の企業であればCEOやCOOとしても十分に活躍できる人材を呼び込めたのは大きかったと感じています。第一印象で、「この人だ!」と思いました。この人がいれば絶対成功するなと。ビジョン実現を目指す上で、お互いの経験で補完し合うことができ、意見も言い合える関係性です。

「チームはオーケストラだ。」 女性が働いていくためにも大切にする、組織のダイバーシティ

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法人登記をした2020年11月というと、ちょうど世間はコロナ禍に見舞われていましたが、事業をスタートさせる上で影響はありましたか?

働き方としては、基本的にそれぞれが在宅で行いつつ、ミーティングはオンラインで実施していたのでやりづらさは全くなく、むしろ都合が良いと感じています。今まで足を運んで直接訪問しないと会えなかった医師にも、オンラインだと30分のミーティングで話ができる。このような働き方は、一時的なものではなく継続してもっとフレキシブルにするべきだと思います。

コロナが落ち着いた後も、前のような働き方に戻るのではなく柔軟に変化・対応させていくべきだという意見も多いですよね。

今までの日本の働き方では、女性が子育てもしてフルタイムでバリバリとキャリアを積んでいくのはなかなか難しいのではないかと考えています。日本において働き方はもっと多様化するべきであると思いますし、家事や子育てをしながらでもフレキシブルに働ける環境をもっと築くべきだと思います。

夫婦での役割分担ももちろん進めるべきだと思いますが、やはり子供は可愛いですし、仕事も好きですが、母親として子供ともっと一緒にいたいとも思います。ご飯だってできれば自分で作ったものを食べさせてあげたいし、習い事にだって連れて行ってあげたい。風邪をひいて保育園を休んだらそばにいてあげたい。そんな気持ちを仕事があるという理由で抑えなければならないってとても悲しいと思うんです。なぜ両方できないんだろうって。そんな欲張りな気持ちを満たしながら女性がしっかり働くためには、フレキシブルさが必要になってきます。

あくまで、「"子育て中の女性は働けない"という訳ではなく、"どうしても対応できない時間がどこかで発生するので、時間をずらさなければいけない"」という認識を皆が持つことが大切です。フレキシビリティを持って、働く時間をずらしながら組織内のメンバーでお互いに支え合うことができれば何も問題はないので、ダイバーシティを取り入れることは組織拡大をしていく過程でも大切にしていきたいと思っています。

マッキンゼーの先輩の言葉で、「チームはオーケストラだ。」というものがあります。オーケストラは、1つの楽器でも欠けるといい音が出ないので曲を完成させることができません。それぞれの役割を認識して、必要なタイミングで音を奏でること、助け合うことが大切で、曲を完成させるためにはダイバーシティが必要になります。時間に制限がある人は、シンバルであればいい。全員がバイオリンを弾く必要はないんです。

女性の社会進出をさらに促進するためにも、そのような考えを持つ企業や人が増えていくことができれば、日本の競争力を上げることにも繋がるのではないでしょうか。

ダイバーシティを心から大事にしているチームメンバー全員の協力があっての、オーケストラだと思っています。子育て世代の女性の進出が特に注目されていますが、私は男女年齢に関係なく人生には色々なフェーズがあると思っています。病気になったり、親の介護が必要になったり、極端な話をすると趣味に打ち込みたいなど、どんな人でもプライベートのことで仕事や働く時間への制限がかかることがあると思うんです。


弊社は、完全フレックス制、副業、時短勤務OKで基本在宅勤務ですし、状況に応じてその時々でチームでどういった働き方が心地よいかをディスカッションするので、細かいことはあえて決めていません。これからも社員全員にとって「どういう働き方が全員にとって1番フィットするのか」、その中央値を探していきたいと思っています。

人生、働くを楽しむ人が集まった組織で目指す今後の展望

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Yuimediとして、他にどんなカルチャーを大切にしていきたいと考えていますか?

一人ひとりのモチベーションに従って、思いっきり楽しんで働いて欲しいです。例えば、子供がいてもいなくても特別扱いせず、あくまで皆対等な立場と意見で解決策を探していけるような関係性。先ほどお話ししたことと重なりますが、お互いに支え合う関係性のある組織作りを目指しています。

また、私たちが取り組んでいるのはヘルスケアの事業ですが、当然自分達が病気になるとプロダクトも作れなくなるので、将来的な患者さんの健康に関わる以上は、私たちも健康でいなければいけないという意識も大切にしていきたいです。

1日の中で1/3は働いている時間、その働いている時間が楽しいと思って欲しい。そこで重要なのは、働くことが楽しいと思うためには何が軸になるのか、ということです。「会社の目指すゴールが自分のゴールと一致していること、無駄な規制をされずに自由があること、頑張った分だけきちんと報酬がもらえる制度があること」などの軸がマッチすると仕事時間がぐんとは楽しくなると思います。

そこを大切にするために直近でバリュー選定も行いましたので、ここからさらに事業成長と組織拡大も行っていくつもりです。ここ1ヶ月でPoCを回せるようなものがいくつか出てきて成長していきそうな種はたくさんあるものの人手が足りていない状況なので採用強化は必須になっています。

新しい仲間が増えていくのも楽しみですね。最後にはなりますが、これからのビジョン、実現したいことについて教えてください。

ヘルスケア全体の構造を変えていきたいと思っています。医療業界は、まだまだデジタル化の余地があり、データという意味でも整理がされておらず活かしきれていないなど本当に課題がたくさんあります。

それらの課題を解決することに興味がある人にジョインしていただきたい。業界経験がなくても私たちの事業・会社に興味があるなら、大歓迎です。一緒に勉強して進んでいきたいですし、一緒に成長いきたいと思っています。

EVANGE - Director : Kanta Hironaka / Creative Director : Munechika Ishibashi / Assistant Director : Yoshiki Baba, Yuto Okiyama / Writer : Mutsumi Ozaki / PR : Hitomi Tomoyuki / Photographer : Takumi Yano
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