EVANGEをご覧の皆さん、こんにちは。フォースタートアップスのEVANGE運営チームです。私たちが所属するフォースタートアップスでは累計1,500名以上のCXO・経営幹部層の起業や転職のご支援*をはじめとして、多種多様なビジネスパーソンを急成長スタートアップへご支援しています。EVANGEは、私たちがご支援させていただき、スタートアップで大活躍されている方に取材し、仕事の根源(軸と呼びます)をインタビューによって明らかにしていくメディアです。
インターネット領域にとどまらず、水族館や英会話・農業など50以上の事業を手がける合同会社DMM.comにてVPoEに就任された大久保寛(Okubo Hiroshi)氏。学生時代にはガンダムを作ることを夢見、SIerでキャリアをスタートさせ、株式会社カカクコムではエンジニア及び事業責任者として、メディア系ベンチャーではCFO業務を兼任するという稀に見る経歴を経てDMMへ入社された背景と今後のビジョン、これまでのキャリア形成及び意思決定の軸に迫ります。
大久保 寛(Okubo Hiroshi)
新卒でSIerに6年勤務。その後、2005年にカカクコムへ入社し、約12年の在籍期間でエンジニアとして同社が運営するサービスをほぼ経験、事業責任者や子会社CTOを歴任。その後、メディア系ベンチャーにてCTOとCFOを兼務。2019年より合同会社DMM.comに参画。
-- 御社の事業は多岐に渡ると思いますが、その中で大久保さんが現在携わっている事業について教えてください。
私は前職、前々職含めてキャリアのほとんどでインターネット関連の事業に携わってきましたが、DMMはそれ以外の事業の方が多いんです。同じ事業が50個以上あると思われていることもありますが、実際は事業自体が異なるものがたくさんあるという感じですね。それが他社との違いでもあり、もっと面白いことがDMMでできるかもしれないと思ってきているところです。
-- インターネットとイメージが直結しない事業も手がけていますよね。
はい。水族館や消防車両にまつわる事業などは、他の企業で展開されていないことだと思います。今回VPoEという立場になり、例えば消防車両の事業については「エンジニアとして何を提供できるのか」を考えさせられたのですが、ソフトウェア開発では貢献できる部分も多い一方で、ハードウェアの観点でいくと、まだそんなに「ない」のではないかと感じました。自社事業に貢献しようと思っているのに、半分以上が貢献できない領域だと実感しているのが現状です。
-- その中で今後どういった役割を担っていくおつもりですか?
ソフトウェアエンジニアが活躍できる場を増やしていく、ということをまだやりきれていないので、まずはそこに注力するつもりです。それ以降は、インターネットを使っていない事業に対して貢献できるような人をどんどん増やしていきたいというのが、漠然と思い描いているところです。
-- 入社から現在まで、大久保さんの立場や役割の変化について教えてください。
入社してから肩書は違いましたが、VPoEとしての業務はこれまでも行っていました。なので、体制が変わったこのタイミングで、VPoEという肩書がつきましたが、私の中では、VPoEになった前後では何も変わっていないという感覚です。
これだけ事業があるとどこかにフィットするポジションはあるものの、入社当時に想定していた役割が状況によって変わることもあります。私は役割を限定せずに入社したため、当時から、CTOだった松本(現:株式会社LayerX CTO)と1on1で話し合い、実現したいことを受けて実現に向けて動いていく、というやり方だったので現在とやっていることはほとんど変わっていないと思っています。
-- 松本さんが退任されるタイミングでは、渡辺さんがCTO、大久保さんがVPoEとして就任されましたが、役割分担はあったのでしょうか?他の企業では、CTOが技術を見て、VPoEが組織や人を見ているイメージですが。
松本がCTOの時は、私との関係は縦のイメージで役割分担されていました。今回はその時と比べると横関係に近い形になりましたが、CTOの渡辺のほうが現場にもっと近いかもしれませんね。私も元々エンジニアなので、技術の話をされると関わりたくなってしまう。だけれども、それをすると同じことを言っているのにも関わらず違うように聞こえてしまい、現場が困惑してしまうので、一歩か二歩引いておかなければいけないと心がけています。松本がいた時も同じでした。
-- 学生時代に遡らせてください。大学では何を勉強されていたのでしょうか。
そもそも大学に進学する時、何がしたいか考えた時に、今はマーベルがあるので「アイアンマン」とか大好きなのですが、当時は「ガンダム」だけだったんですよ。なので、”宇宙に行けるか、「ガンダム」が作れるところを探そう”と思ったんです。ただ、宇宙では生活できないので、宇宙に行っても行って終わりだなと思い、それであれば「ガンダム」が作れるところを探そうと機械系の学科に入りました。
-- 今であれば選ぶ大学は違っていたかもしれないですね。
大学に入り、色々なことを学ぶうちに比較的早い段階で「ガンダムを作るのは無理だな。」と思いました。ただ、「ガンダム」ではなくて「スターウォーズ」のライトセーバーなら可能なのではないかと思ったので、レーザーの研究を行いました。私が大学に通っていたのは25年前で、その時は現在よりもレーザーの出力は弱いですし、水で鉄板を切るよりもレーザーで切ったほうが仕上がりが悪かったので、大学4年生の成果はレーザーの出力をほんの少し上げられたことでした。
-- 情熱を持って取り組もうと思ったことが実現できないと気付かされ、それ以降のキャリアに迷いは生まれましたか?
理系の学生は研究室の教授の紹介で企業に入ることが多かったのですが、私の場合、大学だけでなく研究室に入った理由も、全部夢は破れていたので、教授に紹介された会社に入るのではなく、普通に就職活動をすることにしました。世の中は就職氷河期でなかなか受からなかったのですが、ITバブルの影響でSIerのSEは積極的に採用を行なっていたため、”キチンと考える”ことをやめて、就職を決めました。ライトセーバーもガンダムも真面目に実現しようと考えていたけどできなかったので、軽く考えてSIerでのキャリアを歩み始めたんです。
-- 新卒で入社したSIerでは6年勤められました。当時の働き方はどうでしたか?
最初のうちはあまり選択肢がなく、与えられたものをこなしていくしかなかったのですが、どこかのタイミングで”キツい現場を経験することで成長できる”ということを気づいてしまって。それ以降は炎上しているプロジェクトに入れて欲しいと頼み続けて、解決しては次のプロジェクトを担当するということを繰り返していました。加えて、「自分より優秀なエンジニアがどこで何をしているか教えて欲しい」という話もずっと聞いていました。経験を積んでいくうちに、「あまりいないかもしれない」と言われたタイミングで会社を辞めました。
-- 自ら炎上しているプロジェクトを志願し続けるというのは勇気がいることだと思います。
たまたま炎上したプロジェクトに入った時があり、それが終わって次のプロジェクトに行く時に自分自身で、「あ、すごいできるようになったんだな」ということを実感して、振り返るとあの火事場にいたから成長できたんだということに気づいたんです。なので、案件を取ってくる営業には、「火事があったら声をかけて欲しい」と常々言っていました。
最近、社内(DMM)でもどうやったら人は成長できるのだろうという話をしているのですが、どうやら著しく成長している人は皆1回や2回は火事場を経験しているということが分かってきました。ただ、それは今の時代にはそぐわないよね、という議論にもなっていて。話を突き詰めると、だいたい通じるのが”サイヤ人理論”なんですよ。
-- サイヤ人理論は面白いですね(笑)。一度死にかけてパワーアップすると。
私はこれだったなと思いました。ただ、全員にこの理論が当てはまるかというとそうではないと考えています。例えば、以前の職場で不正アクセスがあった時に、復旧するプロジェクトを急遽立ち上げて人員を全員参加させたのですが、長時間労働を避けるために三交代制で対処したものの、乗り越えられないメンバーもいました。時間だけが理由ではないと思うのですが、そういった部分に配慮しなければいけないなと思いつつ、それを乗り越えることができた人はやはり成長したと感じる人が多かったなと思います。
-- SIerからカカクコムに転職した際も、炎上を落ち着かせることをミッションに入社されたのですか?
そうではないです。SIerで関わったプロジェクトの1つに、WEBサイトの公開や作成、機能改善を行うものがあり、その仕事を通してインターネットの面白さを感じていたので、転職の際には、次のキャリアとしてインターネットに関わる仕事に就こうと考えていました。
SIerで炎上しているプロジェクトに入り続けていたこともあり、転職の際には次はもう少し落ち着いて仕事がしたいと思っていました。カカクコムには残業が少ないと言われて入社したので、「こんな平和な日々を送ったのは久しぶりだな」と思っていましたね。
-- 嵐の前の静けさですね。
入社して少し経った頃に社内がザワつき始めていたので「何か起きているな」とは思っていた中で、休みの日にCTOから電話がかかってきて「こういう事態になったから、対応して欲しい」と急に言われて。私からすると、「入社したばかりで何も知らないよ」という感じだったのですが、「今のエンジニアはこのシステムを作り上げた人達だから、直すためには新しい人(目線)が必要だ」と言われて、結果として炎上のプロジェクトに携わることになりました。
-- これまでのキャリアを通して、師匠のような方はいらっしゃいますか?
その時々でエンジニアとして勝てないなと感じた人は3名います。まず、ファーストキャリアで出会ったエンジニアです。金髪でしたし電車の中で床に普通に座っちゃうような人(笑)。でも、コード書かせたらめちゃくちゃなスペシャリストで、PostgreSQL(※オープンソースのリレーショナルデータベース管理システム)を日本に持ってきた方でした。2人目は、カカクコムの時に雇った業務委託の方で、作るスピードで自分より早かったのは後にも先にもその方しかいなかったです。 そして3人目は松本ですね。
-- 松本さんはあえて言うなら、どういうところが凄いのでしょうか。
40歳くらいであればあれぐらいの人はいますが、あの若さであそこまでのレベル、それぞれの領域で一定以上のスキルを保っている人はいないですね。
最初の話に戻ってしまうのですが、彼も自分で自分をいじめるクセがついているので、いくらでもパワーアップできてしまう。若い分、まだ自分でセーブすることなく限界まで追い込める。あのペースがあと10年持つかと言われたら難しい気はしますが、スタートラインがそもそも違うのでまだまだ成長していくだろうなと思います。
-- VPoEとして人や組織を見るという役割もあると思うのですが、そういった観点で参考になる方はいらっしゃいましたか?
そのような観点ではあまり思いつかないです。というのも先ほど挙げた、自分よりはるかにコードを書くスピードが早いエンジニアに出会った時に、その人にもっと活躍してほしいと思ったことを機に自分なりに考えてきたので。彼がもっと書きやすい環境、今のスピードが1だとしたら1.1や1.2になれる環境や制度はどのようなもので、どんなチームを作ればいいのだろうと考え始めたのが組織作りを考えるキッカケになりました。
その人のためのチームを作るために周りのメンバーをよく見てみると、これまで焦点が当たっていなかったメンバーも意外とできるんだということに気づきました。それ以降は一人ひとりの良さを組み合わせながら組織を作ることで、どんなチームでもパフォーマンスが上がっていきました。
-- そのような組織の作り方、マネジメント方法にはどのように辿り着いたのでしょうか。
この話はよくするのですが、”天然モノと養殖モノ”があると思っていて、他人が与えるプレッシャーというのは、養殖モノを作ることにすぎない。それは本物ではないので、自分自身にプレッシャーをかけて成長することで、初めて天然モノになれるのだと考えています。
大切なことは自ら機会を作ることであって、いくらプレッシャーをかけても天然モノにはなれない。エンジニアの世界の話だけかもしれないですが、いつか実践するために訓練をした人と、実際に何かが起きた時に対応した経験をしている人とで比べると、いざという時の動き方が全然違います。技術的な訓練は必要だとは思うものの、それがすべてじゃないということにだんだん気づいてきたんです。なので、”プレッシャーをかけることをやめた”というのが一番大きいかもしれないですね。
-- 過度なプレッシャーをかけないことだけで、自ら動けるようになるものでしょうか?
課題や与えられたものをこなすだけでは、最初本人はそれをやることでどのように成長できるかイメージができていません。最初に説明は受けるものの本人はわからないので、上司に言われたことだからという理由で取り組むことが多いと思います。それが終わり振り返った際に、「イメージしていた以上のことが身につき、タメになった。もっと色々なチャレンジをさせてほしい。」と感じられることが一番の成功事例になると思うので、その機会を繰り返すことが大切だと思います。
-- 自分自身で気づけない場合、他人からプレッシャーを与えられることがフィットする人もいますよね。
マネジメントに対する考え方も直近10年、20年で変わってきています。最近は今お話しした私の考えと世の中の考え方が近くなってきたと感じていますが、10年前は「プレッシャーをかけて育てよう」という世の中でした。私もそれに従ってやろうと思ったら上手くいかなかったことと、自分より優秀な人がいるということに気づいてスタンスを変えたので、時代に合わせて適切なマネジメントや組織作りは変化させていくべきですね。
-- 前職では資金調達業務など管理部門全体を見るという経験もされています。
CTO候補として入社し、2年弱の短い間で様々な経験をさせていただきましたが、中でも管理部門を担当させていただき最終的には資金調達もうまくいったことで役割を果たした、と感じたタイミングで退職することにしました。そして、フォースタの岡本麻以さんからDMMを紹介されて、今に至ります。
-- その当時、他の企業への選択肢があった中で、どうしてDMMを選んだのでしょうか。
実は、DMMを選択肢に入れたのは2度目だったんです。カカクコムを辞める時にも紹介を受けていたのですが、その時は面接も行かずに断ってしまいました。その後、DMMをずっと気にしていたかというとそうでもなく、実際に他にもいくつか選択肢はあったので本当にタイミングが合ったんだと思います。
-- 面接での印象はいかがでしたか?
現在も言われ続けていますが、ぜんぜんエンジニアっぽくないと思われたようで、VPoE候補としては適切ではないと感じていたみたいです。ただ、会社の規定を作る話になってからは、DMMが感じていた課題や今後の戦略に対して、私の考え方とスキルがハマりそうだということと、CFO業務として資金調達をした経緯なども話をして、最終的には次に進んでくださいと言われました。松本との最終面接でも技術に関しては話さず、求められている役割に違和感はなかったので安心したのを覚えています。
-- 入社したからこそ思う、DMMの面白さはどこにありますか。これからさらに面白くなることなどがあれば教えてください。
ブレることがなければ飽きることもないですし、あとは良くも悪くも、今の状態でよくこれまでやってこれたなと思っていて、まだまだ成長できる余地もあるのでさらに面白くなっていくと思います。
私がカカクコムに入社した時にも感じたことですが、例えば上場した会社にいたほとんどの社員は「自分がこの会社を上場させた。」と思っているものの、その中で本当に優秀な人は一握りではないかと思います。そう思ってしまう背景としては、上場といった大きなイベントを経験することで、必要以上に自分のことを過大評価してしまうことが大きいと考えています。売上も組織も急拡大することで発生する歪みはその時々で発生するものだと思いますが、その歪みをどう補正していくか、キャッチアップしていくかは常に悩みの種だと思います。
違う意味で今のDMMも同じだと思っていて、売上規模や従業員数などは大きいけれど、時代に合わせて改善しなければいけないことはまだまだありますし、それができるともっと伸びるはず。カカクコムの時に経験していることでもあるのですが、それができた上でもう一段二段成長できるということを考えると、とても伸びしろがある会社だと思います。
-- 現在の売上利益があっても、まだ伸びしろがある会社だと思うとワクワクしますね。
DMMで働いている皆の市場価値を上げられる会社になれたらいいなと思っています。成長している時は気づかないのですが、終わったあとに気づくことができる。「あの時こういう経験をしたから、今ここにいるんだ」ということがわかるはずなので、それを経験できる環境だということから考えても面白いと思いますし、事業を作れるチャンスもまだまだあります。
-- DMMにおいて、新しい事業や取り組みはどういう形で生まれていくのでしょうか。
社内外どちらからも新たな事業のきっかけは生まれるのですが、そこには会長の亀山が関わっていることが多いです。最初に話した事業の魅力にも繋がりますが、会長と話をしていて思ったことの1つが、DMMは元々レンタルビデオから始まった会社なので、”インターネットに関連した事業を営みたい”というわけではないということ。あくまで、”ビジネスの中の選択肢がインターネット”というだけで、他のIT企業とはそこが一番大きな違いで面白いところだと思うんですよね。
-- 他の会社のほとんどがインターネットを目的化している。
私が知らないだけかもしれないですが、IT企業の様々な創業社長がいる中で
リアルからスタートしてる人はあまりいないなと感じています。
-- だからこそ選択肢として消防車やリアルな事業にも展開されているのですね。
数年前にO2Oが流行しましたよね。ところが、どこもインターネットを使った時のような急成長を遂げるようなところはなかった。今考えるとそれは当然のことで、そもそもリアルのことを知らないにも関わらず、インターネットの都合をリアルに押しつけても上手くわけないんですよね。でもDMMは、リアルを知っている立場から考えた理論を使えているから可能性がありますし、そのような会社にいれるということはいい選択肢だと思います。
リアルを知っている創業社長がこれだけ近くの立場にいるという環境はこれまでなかったので、そういう人と一緒に仕事ができるということも刺激になっています。そのような環境やこれからの可能性にワクワクしてもらえるような方と一緒に働いていきたいです。
EVANGE - Director : Kanta Hironaka / Creative Director : Munechika Ishibashi / Assistant Director : Yoshiki Baba, Yuto Okiyama / Writer : Mutsumi Ozaki / PR : Hitomi Tomoyuki / Photographer : Hayato Jin