「世の中への恩返しに人生をかける」個人と企業のミッションを繋ぐ、ログラス COO 竹内 將人氏の生き方とは

2023-05-09

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*2024年9月30日時点

「良い景気を作ろう。」をミッションに掲げ、社内に散らばる経営データを一元化する次世代型経営管理クラウド「Loglass」を提供するスタートアップ企業、株式会社ログラス(以下、ログラス)。2023年5月より同社のCOOに就任された竹内 將人(Masato Takeuchi)氏のキャリア形成、企業選択の軸に迫ります。

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竹内 將人(Masato Takeuchi)
新卒で当時設立3年目のベンチャーの広告代理店に入社。テレアポ・飛び込み営業から始まり、入社2年目に所属部署を分社化させ、教育系に特化した広告代理店業に従事。大阪拠点の責任者や新規事業開発を経験。その後、2015年9月にココン株式会社(現GMOサイバーセキュリティByイエラエ株式会社)に入社し、同社のグループ取締役COOに就任。約10社のM&Aとその後のPMIにてバリューアップを実施。 大手保険会社との戦略的アライアンスを主導しグループ事業成長に寄与。2022年5月から株式会社ログラスにジョインしBivdev、セールスチームのマネージャーを経て、2023年5月からCOOに就任。

目次

  1. ログラスの事業内容とその中での竹内氏の役割
  2. 二十歳で決めた人生のテーマ
  3. メンバー全員が退職。ハードシングスを経て確立したマネジメントスタイル
  4. 「生き甲斐を持って働く原動力になる」ミッションの重要性
  5. 恩返しの手段が明確化、「経営の標準化」への挑戦
  6. 良い景気を作る。COOとしてログラスでの新たな挑戦

ログラスの事業内容とその中での竹内氏の役割

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2023年5月からCOOにご就任、誠におめでとうございます。まずはログラスの事業内容を教えてください。

ありがとうございます。ログラスはあらゆる経営数値を、透明性高く、即時に参照可能な経営管理基盤を作る次世代型経営管理クラウド「Loglass」を提供しています。Loglassを使うことで、自社が保有するデータを“未来を見通す経営”に活用することができ、あらゆる企業が企業価値向上を目指せる世界を実現しています。

その中でこれまで竹内さんがになってきた役割を教えてください。

2022年5月にbizdevとして入社し、入社半年は事業戦略のブラッシュアップとセールスチームの組織化ならびにマネジメントに従事しました。その後は、インサイドセールスとマーケティングチームのマネジメントも兼任し、各プロセスにおけるメンバーへの事業戦略の浸透と、そこに紐づく組織戦略の実行を推進してきました。マネジメントにおいては、モチベーションマネジメントに注力しながら、チーム単位で役割を定義し、メンバーにオーナーシップを持ってもらいながら施策を実施してきました。

2023年5月にCOOに就任し、今後はプロダクトロードマップに紐づく事業戦略立案と組織を通じた執行に責任をもっていきます。

二十歳で決めた人生のテーマ

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ここからは、COOに就任されるまでの竹内さんのキャリアの変遷を、過去に遡ってお伺いさせてください。まずは、学生時代のお話をお伺いできますか?

高校から大学までは、結構本気で役者を目指していました。ただ、大学生の時にオーディションに落ちて、役者の夢はそこで断たれることになり、自分のインサイトを改めて見直すこととなります。私の父は貿易関係の自営業をしており、バブル崩壊後、資金繰りに苦労する姿を子どもながらに見てきました。そんな状況下でも、両親は私の希望する学校への進学を止めることなく応援してくれました。

また、家族以外にも、自分は周囲の人にとても恵まれた人生だったと二十歳ながらに感じ、これからの人生では「両親を楽させたい、今まで出会った人に恩返しをする」というのを人生のミッションに掲げました。

竹内さんの人生のテーマは、「恩返し」なんですね。

はい。具体的にどういう状態が恩返しなのかを考えた時に、周りの人たちの暮らしが少しでも豊かにできるとよいと思いました。自分が携わったサービスや商品によってそれを果たすことができるのではないかと、つまりその手段は父親から教わったビジネスだと思いました。そこで、ビジネスの世界で生きていくと決め、そのために見合うスキルを磨くことを決心しました。

そこから就職活動に繋がっていくと思うのですが、当時はどういう基準で企業を選んだのでしょうか?

学生時代、私は映画が好きでした。当時、作品の情報を知るためには雑誌が主流で、1ヶ月前に編集され印刷を経て刊行された情報にお金を払うのが当たり前でした。つまり、情報には価値があると。その後、インターネットが登場し、情報に即時性が生まれました。これは情報の価値がさらに高くなったと思いました。それから即時性のある情報を取り扱う事業に目を付け、2011年頃にモバイル通信の規格が4Gに変わる事を知り、成長の可能性を感じたモバイル広告を扱う広告代理店である株式会社アップデイト(以下、アップデイト)への就職を決めました。

学生ながら市場の流れを予測して、企業を選ばれたんですね。

そうですね。当時から、市場の変化を予測しながらその中で自分のポジションの取り方を常に考えていました。私の人生のミッションである恩返しが達成できるかどうか、それをずっと意識していますね。

メンバー全員が退職。ハードシングスを経て確立したマネジメントスタイル

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新卒で入社したアップデイトはいかがでしたか?

テレアポや飛び込み営業はもちろんのこと、1年目から新規事業の立ち上げにも携わっていました。さまざまある広告手段をパッケージにして販売したら、大型の受注が次々と決まり、売り上げのトップラインがどんどん伸びていきました。1年目の終わりには昇格もさせていただきました。

1年目からかなりご活躍されていたんですね。

その後、ジョブローテーションの機会があり、社内でもより厳しい環境と言われる教育の広告代理店をやっている隣の部署へ異動希望を出し、後に分社化した株式会社ライフマップ(以下、ライフマップ)に転籍することとなりました。そこでも売り上げトップを取ることができました。それがきっかけで大阪拠点の立て直しに抜擢され、その後大阪に異動になりました。大阪時代の経験が今の私にも大きく影響していると思います。

大阪に異動されてからのお話しも、ぜひ詳しく教えてください。

大阪オフィスでは全員年上の部下を持つことになりました。当時26歳の私は、マネジメントがとても苦手でした。部下のモチベーションがどんどん下がる日々が続き、1年弱で当時10名いた部下が、ついには全員退職してしまう事態になりました。

相当なハードシングスだったのですね。

そうですね。退職者が担当するクライアントはすべて私が引き継いだので、仲間がいなくなる一方で私の売り上げはどんどん上がっていく構図になりました。もちろん私の業務の負担はとても大きくなります。しかし、その時に、売上を作り出してくれていた仲間の存在を痛感し、私はメンバーを活かせないマネージャーなんだと気がつきました。

最後のメンバーが退職するときに、せめてこの人の将来のために何か役に立ちたいと思い、そのメンバーの長所を100個見つけて贈ることにしました。そのメッセージを自信に変えてもらい、この先も頑張ってほしいという願いを込めたくて。2週間くらいあれば見つかると思っていたら、ものの数時間で100個見つかったのです。その時に、1年間一緒に仕事をしてきたのに、メンバーのいいところを1つも伝えられていなかったと気づきました。そこから私のマネジメントスタイルが180度変わり、褒めるスタイルになりました。

今のマネジメントスタイルを作る原体験となったのですね。褒めるマネジメントスタイルにしてから、組織はどのように変わっていったのですか?

その後、新しく作ったチームでは、入社後、まずメンバーの長所を100個見つけて本人に贈ることからはじめました。その結果、メンバーはとても活躍してくれ、5年間で売り上げ2倍、営業利益は3倍に成長しました。人は喜ぶことで成果を出せるのであれば、マネージャーとしてのミッションは、良いところを見つけて長所を認識してもらうこと、これに尽きると思いました。

その後、どういうきっかけから転職を検討しはじめたのでしょうか?

大阪拠点が順調に軌道に乗ったタイミングで、再び東京オフィスに戻ることになりました。東京に戻ってからも新規事業に携わるなど新しいミッションを担っていたのですが、気がつくと、新卒で入社してから9年も在籍しており、コンフォートゾーンに入っていると感じたことが、転職活動を始めるきっかけとなりました。もう一度厳しい環境でチャレンジしたい、その思いだけでしたね。

アップデイトからライフマップに行かれた時も、厳しい環境を求められていましたよね。竹内さんはなぜコンフォートゾーンではなく、あえて厳しい環境を選ばれるのでしょうか?

自営業をしていた父親を見て、仕事は難しいものだとずっと思っていました。だから、ビジネスの世界で生き抜くためには、常に厳しい環境に身を置いて、備えておかなければならないと考えています。

それで厳しい環境を選び続けたんですね。ココン株式会社(以下、ココン)に転職するタイミングでは、いろんな企業を検討されていたのですか?

そうですね。当時の転職軸は、ソフトウェア領域、市場がまだ黎明期で、時間軸を未来にずらした時に社会がどう変わるかを考えながら企業を選びました。加えて、自分が携わったもので世の中を前進させたいと思ったときに、十分な事業投資が行えるよう、ベンチャーキャピタルから調達を受けているチームにしようと思いました。

複数企業の候補があった中で、最終的にココンを選んだ理由はなんだったのでしょうか?

選考を受けていた中で、ココンだけは社長が年下だったのです。私よりも9歳下の方でした。私はもともと人から学ぶことが好きなのですが、年齢を重ねるとどんどん年下の人口が多くなりますよね。年上から学ぶことはたくさんありますが、年下からも学べる自分になれば、360度周囲の人から学べる人になれる。そう思いながら、社長を支えると決めてココンを選びました。

「生き甲斐を持って働く原動力になる」ミッションの重要性

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ココンではどのような役割を担っていたのでしょうか?

PMIと言って、買収した企業の経営統合とグロースを行っていました。やるべきことは、事業を統合して伸ばすことなので、これまで携わってきた事業立ち上げやグロースの経験を十分に活かすことができ、在籍中は計10社を担当しました。

事業を伸ばす上で意識していたことはありますか?

事業戦略と組織戦略を連動し続けることですね。いろんな事業に関わる中で、企業がつまづくポイントは2つあると思います。1つが、そもそも事業戦略が戦略になってないこと、2つ目が戦略は描くが組織戦略を蔑ろにして、事業戦略が絵に描いた餅状態になっていることです。私は常々、事業戦略を描き、それを組織戦略と連動させチューニングし続けることを意識していました。

そしてもう一つ必要なことがあります。それが大義、つまりミッションです。

竹内さんが考えるミッションとは何でしょうか?

代表・CEOの唯一の特権は、どんな世の中にしたいのか、つまり「世界」を決められることだと思っていて、これを私はミッションと定義しています。その特権はとても尊い代わりに、裏側では相当ハードなことを背負わなければなりません。そして、働く人にとってもハードな事がある中で、ミッションと自分のwillをうまく接続させ、自分の仕事がwillを叶えることにつながると思ってもらう必要がある。だからミッションが必要と思っています。

特にミッションの重要性を感じられた印象的なエピソードを教えてください。

私が担当した株式会社イエラエセキュリティ(以下、イエラエ)の代表は、「世の中を良くしたい」と常々口にしていました。その中で「脆弱性をなくす世界を作る」というミッションを掲げていたのですが、そのミッションを決めてからの代表は毎日とてもワクワクし、その代表に共感したエンジニアが集い、彼らの手によってとてつもない成果が生み出されました。イエラエの事業成長を目の当たりにして、ミッションの偉大さを知り、人はミッションを信じると生き甲斐を持って働けることを教えてもらいました。

今の竹内さんにとって、ミッションは事業をする上で欠かせないものとなっているのですね。

そうですね。ココンは買収先の創業者が在籍し続けるという珍しいM&Aスタイルをとっていました。ココンのPMIでは、まず創業者のミッションをシャープにし、それを事業戦略と連動させることで事業成長を作っていました。つまり、創業者にとっては「ココンに相談すればミッションが叶う」という座組みになっていたのです。

同時に、そこで働く人にとっても、自分の人生とミッションの間にwillを存在させることができれば、その会社で頑張る動機になります。企業が掲げるミッションを、働く一人一人に接続させることが、私の役割だと思いました。

恩返しの手段が明確化、「経営の標準化」への挑戦

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その後、再び転職を検討されますが、どのようなきっかけだったのでしょうか?

ココンが統合するタイミングをきっかけに転職を検討しはじめ、当時私が関わっていた新規事業の方向性が見えたタイミングで転職を決意しました。PMIを10社ほど担当すると、意思決定や事業グロースの方法が、ある程度型化されていく感覚があり、もう一度チャレンジしたい気持ちが芽生えました。

再びコンフォートゾーンを抜け出すタイミングが来たのですね。

そうですね。加えて、この頃には二十歳の時に掲げた「恩返し」というミッションがもう一段言語化されており、恩返しの方法として「日本や世界の経営を標準化させたい」と考えていました。PMIの経験を通じて、企業の経営コストを下げることができれば、世の中にとってポジティブな影響を及ぼせると思ったのです。それでスタートアップ・上場企業・PEファンドなど、いろんな企業とお話をして、高頻度で経営を学べる環境を探しました。

そのタイミングで弊社のヒューマンキャピタリスト久保田 匠海からログラスを紹介させていただいたのですね。

はい。実は、ログラスの2020年8月のプレスリリースをみて、商談を受けたこともあり、もともとログラスのことは知っていました。当時はまだまだ機能が不足していて、コスト感も合わなかったため導入を見送っており、自分自身の転職先候補の中では、かなり優先順位が低かったです。

そこからどのようにログラスを検討するようになったのですか?

実際に代表の布川と話したら、私の考える「経営の標準化」と布川が掲げる世界観がとても近いことがわかりました。私がゼロから立ち上げなかったとしても、今のフェーズから一緒にできるなら当事者意識を持って取り組めると思ったことと、何よりログラスであれば、自分の人生を5〜10年ほど前倒しにできると思ったことが大きな決め手になりました。限られた人生の中で、叶えたい世界観が一致しているのであれば、人生を前倒しできる機会を逃すまいと、そんな気持ちでしたね。

ログラスとは、かなり共鳴したものがあったのですね。

そうですね。選考の中で会う人もみんないい人たちでしたし、ログラスは生まれて初めて、自分にとってミッションとやりたいことが強くつながっている環境でしたね。

良い景気を作る。COOとしてログラスでの新たな挑戦

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ログラスにはちょうど1年前の2022年5月にご入社されていますが、この1年はいかがでしたか?

最初はbizdevとして入社し、2〜3週間後に営業のマネジメントも任され、とても目まぐるしいスタートを切りました(笑)。スタートアップにとって大事なカルチャーは、実はとてももろく、何か一つ新しいものが入るだけで壊れる可能性があるため、メンバーの気持ちに立って、ログラスらしいカルチャーを壊さないことを意識していました。なので、この1年は前職まで培ってきたマネジメントに振り切って走ってきた感覚です。

2023年5月にCOOに就任されました。COOとして、 今後どんなことに挑戦していきたいとお考えですか?

この1年間できなかったことは、現場に出てお客様に向き合うことでした。COOという肩書きがつくことは、権限委譲ができる状態になったともいえるので、ここからはセールスやカスタマーサクセスなど、現場に出て一次情報を取りながら、戦略やプロダクトを磨き込むことに力を入れたいと思っています。ログラスのプロダクトはまだまだ成長の余地があります。プロダクトビジョンを掲げたタイミングでもあるので、日本ではまだまだ黎明期の経営管理の市場をどう作っていくか、これはとても大きな挑戦ですね。

そして、ログラスには布川・坂本が築いてきたミッションがあるので、この世界観を通じて採用にもコミットしていきます。この2つができなければ、私はCOOとしてここに居てはいけないと思っています。

竹内さんにとってCOOとはどんな存在だとお考えですか?

いろんな力を借りながら、過去と未来の情報・issueと解・上下や部門を問わない組織同士など、あらゆるものを接続させて組織で成果を出すハブこそがCOOだと思っています。代表と共に組織のwillを作る中で、自分のwillを優先して手に取って、安住の地から発言しても説得力はないですし、組織は動きません。COOは、自分の欲を1番最初に捨てられるスタンスが必要だと思います。

竹内さんのようにスタートアップでCOOを目指す方にメッセージを送るとすれば、どんなメッセージをいただけますか?

タイトルにこだわることは、LTV(ライフタイムバリュー)が低いアクションだと思っており、最初から目の前の肩書きや成果を取りに行くことは悪手だと考えています。私自身もそうですが、前職までの実績は誇りとして持ちつつも、新天地であるログラスで実績がない中で、いきなり役職がつくのはおかしいですよね。COOを志すことは良いことですが、なった後に求められる成果は1人で作ることはできません。そのためには仲間の力が必要なので、最初はタイトルや成果ではなく、1番遠いと思った道を選択することが良いと思います。

最後に、スタートアップという環境の魅力を、ぜひ竹内さんの言葉で教えてください。

スタートアップは、何かを量産するビジネスや正解をたくさん続ける環境ではなく、この世に存在しない答えを作る機会が多い環境です。それは他のどこにもない圧倒的な魅力だと思いますし、正解がないからこそミッションの重要性も増します。まだない世界を信じて、世の中に存在意義を伝え、感動してもらうことが仕事なので、これが醍醐味の一つではないでしょうか。

また、どのポジションであっても大なり小なり、さまざまな意思決定を求められます。人生の中で意思決定の回数が多いということは、自分の人生を主体的に生きることにつながります。この二つがかけ合わさっているのは、スタートアップならではの魅力だと思いますし、それを楽しめる人は、ぜひ一緒に挑戦していきたいですね。

素敵なメッセージをありがとうございます。そして、改めてですが、COOのご就任、誠におめでとうございました。

竹内氏をご支援したヒューマンキャピタリスト

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久保田 匠海(Takumi Kubota)
フォースタートアップス株式会社 タレントエージェンシー事業本部
ヒューマンキャピタリスト
高校在籍時、日本の教育に課題を感じ、大学では教育学を専攻。在学中は、大学と社会の接続をメインテーマに、複数のNPO団体で学生のキャリア支援に従事。その後、"業界自体を変革する壮大なビジョン"に感化され、新卒でウェディング業界のスタートアップに入社し、法人営業に従事。経営統合のタイミングで退職し、「スタートアップでのキャリアを選択し、挑戦する人を増やしたい」という思いでフォースタートアップスに参画。
EVANGE - Director : Hanako Yasumatsu / Creative Director : Munechika Ishibashi / Assistant Director : Makiha Orii / Writer / Editor : Hanako Yasumatsu / Photographer : Hideaki Ichikawa
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