EVANGEをご覧の皆さん、こんにちは。フォースタートアップスのEVANGE運営チームです。私たちが所属するフォースタートアップスでは累計1,500名以上のCXO・経営幹部層の起業や転職のご支援*をはじめとして、多種多様なビジネスパーソンを急成長スタートアップへご支援しています。EVANGEは、私たちがご支援させていただき、スタートアップで大活躍されている方に取材し、仕事の根源(軸と呼びます)をインタビューによって明らかにしていくメディアです。
山村 兼司(Yamamura Kenji)
1978年生まれ、京都府出身。立命館大学卒業後、サントリー清涼飲料部門の営業を経て、2004年株式会社リクルートに入社。学び事業にて、営業、商品企画を担当、2009年 『ケイコとマナブ.net』編集長、2010年 共同購入サービス『ポンパレ』事業(ゼネラルマネジャー 以下GM)の立ち上げに参画し全国拡販を推進。その後、CS推進部(GM)、ECビジネス推進室(GM)を歴任。関連企業での経営企画部長、『ショプリエ』『Airレジ』等の新規事業企画を経て、2017年1月にBASE株式会社に入社。Eコマースプラットフォーム「BASE」事業を統括するBASE Business DivisionにてCustomer Successチームの立ち上げをはじめCOO / BASE Business DivisionのDivision Managerとして事業・組織体制の強化を図り、2018年6月に同社取締役に就任。
-- 現職で活躍される前のキャリアについてお聞かせいただけますか?
新卒ではサントリーに入社しました。清涼飲料部門を担うサントリーフーズで、3年半程、東海エリアで主に自販機チャネルを担当する営業に従事しました。とても生意気で小賢しい新入社員だったと思うのですが、上司にも恵まれ、早いうちから様々な仕事を任せていただき、2年目からは全国トップクラスのお客様も担当させてもらいました。
3年目に入ると、営業以外にもマーケティングや人事など様々な職種を経験して、もっともっと成長したい!という気持ちも強くなってきたのですが、希望を出しても、何の経験もスキルもない未熟な私にすぐに順番が回ってくる状況ではありませんでした。
また、社会人になってからも、いつかは生まれ育った京都に帰って仕事をしたいという気持ちを強く持ち続けていました。しかし、転勤で京都に行ける可能性はごくわずか。会社に縛られず、仕事や勤務地を自分で選択する人生を歩むためには、”何者かになって”京都に帰り、自分で会社を作るしかないと考えるようになりました。とはいえ、当時の私にできることは何もなく、まずは相応しい実力がつけられる職場を探しました。
その旨を友人に相談した際、勧められたのがリクルートでした。リクルートは創業当時から何人も有名な社長も輩出していると聞き、自分自身がより成長できる環境だと感じて、転職という選択をしました。
-- リクルートに入る時、これがやりたいと思うものはありましたか?
リクルートと言えば人事の会社だと思っていました。京都には大きな会社がたくさんある。人材領域で専門性を磨けば、京都で起業できるチャンスがあるのではと考え、とにかく人材領域を志願しました。
結果的に、最初の配属先は「学び領域」となり、「ケイコとマナブ」の営業担当として入社することになったのですが、入社後すぐに新規獲得件数で1位を獲ったり、半年くらい連続で表彰台に上がったりと、想像していた以上に結果が出てしまって、今、思えばとても小さい成果ではあったのですが、まだ入社して間もなく、周りも全然見えてなかった時期だったので、その頃は「自分が一番売れる営業だ」と、すっかり調子に乗っていましたね。
-- さすがですね。そして、リクルートでは、ネットの責任者もやられていますが、そこでも活躍されたのですか?
それが全くダメでした(苦笑)。当時のリクルートは、紙媒体からネットへのシフトが本格的に始まった時期。私もリリースしたばかりのネット版「ケイコとマナブ」の営業をしていましたが、お客さんに提案しながらも、自分たちの事業は費用に見合った価値提供ができているのだろうかと疑問に感じていました。そういう課題感は、事業のトップに直接意見するのが一番の解決策だと信じていた私は、現場のメンバーが感じている事業や商品の課題を、当時のカンパニー長に真正面からぶつけてみました。
それがきっかけになったのかはわかりませんが、次の異動でネットの商品企画を担当することになり、これまで営業しかやったことのない私にとって初めてのキャリアを経験しました。もちろん、インターネットの知識や開発経験など一切ありません。しかも責任者になった途端、「ケイコとマナブの未来をどう考えているのか?」「お前はどうしたいのか?」と日々、問われる。偉そうに言っておきながら何もできない恥ずかしさと、悔しさで必死に勉強しましたが、結局、明るい未来を描くことも出来ず、、、業績は下がる一方。自分自身の力の無さを実感する機会となり、その後の仕事の進め方や周囲のメンバーとの関わり方を変えるきっかけになりました。
-- その後、ポンパレ事業にも関わられましたね。
はい、ネット担当としての限界を感じていた頃、新規事業としてポンパレという事業を立ち上げることになり、そこに営業として声がかかりました。ポンパレではゼネラルマネジャーとして、東京での営業組織の立ち上げから全国展開まで関わり、営業全般の企画から、各種業務フローの設計、構築、実行まで一通り、経験させてもらいました。
また、当時はポンパレ以外にも類似の競合サービスがたくさんあり、カスタマーには通常価格の半額以下のクーポンを販売し、提供事業者からは販売枚数に応じて手数料を徴収する、というビジネスモデルの特性上、トラブルも数多く発生していて、苦情やクレームも多く、業界全体の大きな課題になっていました。
当時、上場を控えていたことや、toC向けのWEBサービスがどんどん増えていたこともあり、CS向上は全社的な取り組みテーマとなっていました。そのため、分社化しグループ体制へと移行するタイミングで、私はCS推進部に異動となり、次世代コールセンター体制の構築とポンパレの問い合わせ削減が新たなミッションとして与えられました。
-- そこでカスタマーサクセス(以下、CS)の世界に入られたんですね。
はい、CSに入って私がやったことは、ポンパレをこれからもずっと使ってもらえるサービスに進化させるために、提供していたクーポン自体の品質を向上させる取り組みと、サービスごとに分かれていたコールセンターを再編するマルチコンタクトセンター構想の実現です。当時のリクルートは、サービスが増えるごとにコールセンターも増えていく構造でした。また、それが全国各地にあり、対応方針のばらつきや、維持コストが課題になっていました。それを約1年かけて再構築するプロジェクトリーダーを任せてもらい、地道な業務改善のプロセスを勉強しながら、結果としても、品質の向上や大幅なコスト削減を実現することができました。
-- リクルートで様々な経験をされましたね。リクルートの文化で好きな点を教えてください。
人に期待する文化ですね。
入社して半年頃の私は、すぐに表彰されたこともあり、ただただ調子に乗って勘違いをしていて、異動してきたばかりのチームリーダーとの初めての面談で「もうリクルートで学ぶことがなくなったので辞めようと思います!」と申し出たことがありました。
そんな勝手な私を先輩は見捨てるどころか、逆に「もっともっと大きな挑戦をした方がいいよ」と、それまで以上に大きなお客さんを任せてくれました。何ができるかも分からない私に、リクルートの先輩方はいつも期待をしてくれて、身の丈以上の裁量をもたせていただき、常に必死で頑張らないといけない環境を与えてもらって、、、その期待に応えれば、次はより大きな期待をかけてくれる。それが日々のモチベーションにもつながっていましたし、あのとき辞めていたら、こんなにもたくさんの経験を得られることもなく、CSという世界に出会うこともなかったと思うと、当時の先輩方には感謝しかありません。
-- 山村さんは多様な場面で成果を出し、期待されてきました。成果を出すために意識されていることはありますか?
チームを任されるようになってからは、常に私一人では何も出来ないということを自覚して、メンバーに頼る、期待するという事を強く意識してきました。
こういう意識を持つようになったのは、営業からネットの商品企画へのキャリアチェンジがきっかけです。異動直後は企画業務自体も初めてで、インターネットの知識もスキルも何もありませんでした。既存メンバーや、ネット人材として入社してきた後輩の方が、私よりも圧倒的に知識や経験も豊富でスキルも高い状況でした。最初は、先輩だからと偉そうにしていたのですが、メンバーの協力がないと私1人では何も出来ないという現実を突きつけられ、成果も全く上がらない状況が続き、何かを大きく変えないと一歩も前に進めない状況に追い込まれました。
そのとき、チームでのパフォーマンスを最大化するために、自分自身の小さなプライドや見栄は捨てると決めました。私ができない専門知識が必要な業務は、できるメンバーに完全に頼る、任せると割り切る。その分、メンバーが苦手な業務だったり、面倒で後回しにしているような業務は、すべて私が巻き取って前に進めるという意思決定をしました。リーダーである私が、メンバーが働きやすい環境を整えることや、モチベーションをあげる手助けをする役割に徹したことで、それぞれが得意領域に集中でき、チーム全体のパフォーマンスが明らかに向上したことを実感しました。その経験から、それまでの自分本位な仕事の進め方から、メンバーの活躍を第一に考えるマネジメントスタイルに大きく変わっていきました。
-- リクルートで十分に成果を出されていた山村さんが弊社清水和彦と会われたきっかけはありましたか?
子会社への2年間の出向から戻ってきて、少し時間的にも余裕があった時期、ぼんやりと今後の人生やキャリアについて考えることが増えていました。あらためて、これからの人生にどんな選択肢があるのか探ってみようと思っていたところにタイミングよく連絡をいただいた清水さんに、とても気軽な気持ちでお会いました。清水さんは、転職を勧めるわけでもなく、自分の気持ちや、これからの人生でやってみたいことを丁寧に聞いてくださって、その上で、まずは色んな人に会って話してみるのがよいのでは?とアドバイスをいただきました。
--リクルートでもそれなりのポジションを経験された上で、次に数十名のスタートアップを選ばれたときの心境はどのようなものだったのでしょうか?
その当時は、もう一度、CSの領域でチャレンジしたいという気持ちが強くありました。SaaSやサブスクリプションモデルのビジネスが広がり始めていて、職種としても注目を浴びつつあった「カスタマーサクセス」に可能性を感じていました。まだ専門家と言われる人もほとんど出ていない。サントリーやリクルートで営業経験を積み、多くの事業を経験した私が、今、CSとしてチャレンジすれば、何か新しい形のCSが作れるチャンスがあるのではないかという想いがありました。
その時、丁度、清水さんにBASEの存在を教えてもらったのです。
-- 山村さんにとって、BASEの好きなところはどんなところですか?
実現したいミッション・ビジョンを、全メンバーで共有していて、すべての意思決定においてプロダクトを一番に考えているところですね。
代表の鶴岡と話して、一番心に響いたのは、実現したい世界、ミッション・ビジョンがものすごく明確だったことです。私が出会った当時はもう5年目でしたが、創業から歩んできた5年間の道のりが、先に見据えている10年後の未来まで一直線に繋がっているような印象を受けました。
これから進んでいく未来への道のりの中で、私自身の経験が活かせる場面もたくさんありそうだとも感じましたし、実現したい未来に向けて、とても純粋に、ブレることなく真っすぐに突き進んでいる信頼できる人間だとすっかりファンになってしまい、少しでもそのお手伝いができればと、入社を決心しました。
-- 山村さんはBASEに入り、何をやっていきたいですか?
COOという立場なのであまり大きな声では言えませんが、今まで、私がトップに立った場面で、自信をもって業績を伸ばせたと言える経験はありません。
ただ、上司でもメンバーでも、想いの強い人や頑張ってる人を応援したい、困っている人がいたら助けたいという強い気持ちがあります。チームにとって必要だと思えば、やったことがない業務でも選り好みをせず、何とか成果を出そうと必死に取り組んできました。そのおかげで、私のカバーできる業務の範囲が広がったり、たくさんの職種や、事業・組織で数多くの経験を積み重ねることができたことは、私の大きな強みだと思っています。
会社のトップに目指すビジョンがあっても、それを形にするのは現場のメンバー。入社当時、エンジニア中心の50名ほどだったBASEの組織は、当然、必要な役割すべてに人を配置できていたわけではありません。部署や役割に関係なく、目の前に必要なタスクが出てきたら、誰かが拾って、前に進んでいかないといけない。サービスの成長スピードに組織が全然追いついていかない状況の中で、私が出来ることは何でもやろうと思っていました。
-- COOの鑑ですね。
私は何かが飛び抜けてすごいわけではない、でもどんな仕事でも80点くらいは出せる。体制の整っていないスタートアップでは手付かずの0点状態の仕事がたくさん落ちている。それを拾って80点くらいでも形にできると一気に会社が軌道に乗ります。
リクルート時代も、好調な事業よりは、新規事業や、苦しんでいる組織に呼ばれることが多かった。軌道に乗せるまでは私が踏ん張って、成果が出せる人が現れたらバトンを渡す。そういう役割で汗をかき、「あの時、山村がいて助かった」と言われることが私の存在価値だと思っていました。そういう「みんなが逃げ出したくなるような場面に飛び込んで、必死にもがく中でこそ自分自身が成長できた」という体験の積み重ねが、今の私の働き方につながっている気がします。
エントランスにオーナーズの写真が飾られているBASEオフィス。
-- リクルートからBASEに転職して働き方や考え方はどう変わりましたか?
大きい会社には、リソースが潤沢にあるので、今、持っているヒト・モノ・カネ・情報という経営資源をどう使って答えを出すかという思考になります。しかし、スタートアップは、基本的にヒト・モノ・カネ・情報は揃っていません。足りないリソースや、持っていない情報は、知恵と胆力とスピードでカバーしないといけない。「私が持っているリソースを、今、一番大事なことに使えているか」を常に考えるようになりました。
朝礼暮改の意思決定はメンバーも混乱しますが、それを避けようと調整に時間を使うと、一定期間、無駄な業務が発生する。鶴岡からは「なぜダメだとわかっているのにやめないんですか?誰も幸せじゃないですよね。」とシンプルな問いが来る。自分自身の意思決定に責任はありますが、常に最適解を模索し続け、過去の自分を否定しながら、最速で、より価値を生む方向に向かって舵を切る。
「使った時間やお金から、どれだけの価値を生み出せたのかにこだわる」という当たり前のことが、今の私も完璧にできているわけではありませんが、それを強く意識するようになったのは、一番大きい変化なのかなと思います。
-- 最後の質問になりますがBASEさんで一緒に働くとしたらどんな方がいいですか?
シンプルに、「オーナーズのためにいいプロダクトを作りたい」と思える人が良いですね。
BASEのメンバーは、自分たちが幸せになるためにプロダクトを作っているのではなく、オーナーズをより強くするために、我々がリスクをとって、新しいチャレンジを生み出すことができるプロダクトを作っていくこと自体に強いモチベーションを持っています。
純粋に「オーナーズを応援したい」「社会的に意義のある仕事がしたい」「世の中をもっと便利にしたい」という欲求のある人にはすごくいい環境だと思いますし、僕自身もそういう人たちと働きたいですね。
私達の行動指針にも
「Be Hopeful」
楽観的でいること。
期待した未来は実現すると信じて、勇気ある選択をしよう。
という考え方があります。
BASEに限らず、多くのスタートアップでは正解が事前にわかっているなんてことはない。未来がどうなるか、何が起こるかわからないからこそ、誰よりもHopefulに、私たちが考え抜いた未来を信じてチャレンジできる人が勝つと思っています。
当然、うまくいかないこともたくさんありますが、失敗すること自体よりも、何も学びが得られなかったことが一番の失敗。新たな取り組みからどういう学びを得るかが大事。だからこそ、仮説を持って、どんどん新しいチャレンジに挑んでくれる人とは一緒に働きたいなと思います。
サービスも成長し、メンバーも120名を超え、自分自身が、日々アップデートできなければ、すぐに今の役割が果たせなくなるという危機感もあります。これから年齢を重ねても、リスクをとってチャレンジして、誰よりも進化していきたいですね。
EVANGE - Director : Kanta Hironaka / Creative Director : Munechika Ishibashi / Assistant Director : Yoshiki Baba / Assistant Writer : Ryosuke Ono / Photographer : Jin Hayato