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「資金調達だけなら要らない」クラフトバンク木村幸夫CFOの覚悟

コロナ禍において、在宅ワークを開始し、部屋を働きやすいようにリフォームされた方もいらっしゃるのではないでしょうか。また企業では変化に対応できない旧態依然とした状態が露呈し、デジタルトランスフォーメーション(DX)による変革が求められています。今回は、建築業界のDXに挑戦するクラフトバンク(*)にてCFOを務める木村幸夫(Yukio Kimura)氏の働き方の軸に迫ります。

*2020年10月1日にユニオンテック株式会社は、クラフトバンク株式会社に社名変更しました。

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“ニューエリートをスタートアップへ誘うメディア” EVANGEをご覧の皆さん、こんにちは。for Startups, Inc.のヒューマンキャピタリスト弘中寛太(Kanta Hironaka)と申します。

私達が所属するfor Startups, Inc.では累計170名以上のCXO・経営幹部層のご支援を始めとして、多種多様なエリートをスタートアップへご支援した実績がございます。

EVANGEは、私達がご支援させていただき、スタートアップで大活躍されている方に取材し、仕事の根源(軸と呼びます)をインタビューによって明らかにしていくメディアです。

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木村 幸夫(Yukio Kimura)
2000年、監査法人トーマツに入社し、公認会計士として監査業務に従事。2006年、グローウィン・パートナーズ(GWP)に入社。数十件のM&A案件で、財務デューデリジェンス、株価算定業務に従事したほか、IPO支援/業務改善コンサルティングにも多数関与。2010年、アニコム ホールディングスに入社。財務部長、経営企画部長、CVC社長などを歴任。2016年、フィンテック系ベンチャー企業のCFOとして参画。同社の急成長を中心的に支え、最終的に上場企業グループへの売却折衝を主導し、PMIを実現。2019年、クラフトバンク(旧ユニオンテック)に入社。非連続な成長戦略の実行に向けた経営執行の強化を図るべくCFOとして参画。

建築業界のDXに挑む、クラフトバンクの事業とは

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--早速ですが、クラフトバンクの事業についてご説明いただけますでしょうか。

大きく分けると2つあります。この会社は現代表取締役会長の大川が2000年に創業した会社です。彼は中学卒業後専門学校を経て18歳で職人になり、20歳でこの会社を作りました。創業後、リーマンショック等も乗り越えながら業容拡大を続けており、現在はオフィスや店舗等の内装に関し、設計から施工に至るまでの内装事業全般を取り扱う企業に成長いたしました。この内装事業が一つ目の事業であり、祖業です。

もう1つの事業は、建設会社のプラットフォーム事業です。これは当社が内装事業で業容拡大するなかで、建設業における多重請負構造における負の部分として「情報不足」があることを、大川自身が痛切に感じていたことに端を発します。当時から「もっと多くの情報があれば、当社だけでなく業界全体でより多くの仕事を請けられるのに」と大川は考えていましたが、当時はそういった情報のデータベースのようなものがありませんでした。そこで「世の中に無いのであれば自分たちで作ればいい」と考え、今から4年ほど前に構想し、作り上げたのが建設会社のプラットフォーム事業「CraftBank」です。

売り上げ規模は、まだまだ祖業の内装事業のほうが大きいのですが、これから先数年で逆転させていくような状況を目指しています。

-- プラットフォーム事業への進出は大きな決断でしたね。

プラットフォーム事業どころかインターネット事業自体、それまでの大川あるいは当時在籍していた社員(≒職人)の誰もが未経験の領域だったこともあり、開始当初は大きく失敗しました。それでも大川は「世界一の技術を持つ日本の職人が正しく評価されるためにもこの事業は必ず成し遂げなければならない。長年お世話になったこの業界への恩返しであり、自分の責務」と、私財を投げ打ってチャレンジを続けることを決断しましたが、その一方で「ネット事業に関しては自分より優れた経営者がいるはず。この事業を成功させることが出来る人にこの会社の経営を任せよう」とも決断します。そんな折、出会ったのが現社長の韓です。

韓はそれまでリクルートで海外M&Aのトップを務めていて、当社に参画する直前には同社が買収したドイツ企業のMDを務めていました。リクルート時代、ネットビジネスに深く携わってきた韓はネットの要諦も完全に理解しています。加えて2人は年齢も同じで、やってきた仕事や経歴こそ対極ですが、人間性や考え方も似ている。まさにベストの人材として経営参画するに至りました。

ここで大川の凄い点が、このタイミングで完全に韓へ権限移譲した点です。自分が創業して十数年にも及ぶ会社の社長の座を、権限と共に完全に譲ることはまずできません。大川は1からこの会社を創って100人を超える規模の会社にして利益も上げていたたわけですから、職人としても経営者としても成功者です。にもかかわらず、「今後この会社で成し遂げるべきことのために、(自分のエゴで)自分が社長としてボトルネックになるわけにいかない」と判断して韓に社長をお願いした。こんな事が出来る人は創業者にはほぼいません。その点でとても尊敬しています。

そしてこの考え方は会社全体に浸透しています。会社のステージや方向性等に応じて、求められるスキルセットや役割は変化していくのが当然で、役員まで含めて柔軟に肩書や役職が変わります。普通の会社では「降格」のように見られるケースでも当社では誰一人そうは思っておらず「役割が変わっただけ」と捉えています。ですので、肩書に固執することも無ければ政治的な動きも無く全員が事業成長に突き進んでいる、極めて健全な組織です。

コロナ禍の事業への影響と対策

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-- 御社の事業や働き方に対する、コロナの影響はいかがでしたか?

祖業の内装業はオフィスやショップを主軸に展開していましたので、少なからず影響を受けました。しかし一方で、コロナで好機となっているのがリフォームです。

元々安定的な需要のあるリフォームですが、コロナの影響で自宅でのリモートワーク需要で非常に盛り上がっています。当社では需要の変化を逃さず、オフィス・ショップも残しつつ、重心をリフォーム関連に移しています。
プラットフォーム事業についても同じようなイメージです。コロナはこれまでの需要をしぼめる一方で、これまでに無かった需要を生み出しています。そこをきちんと取り込める事業をこの8月から開始しました。

総じて言えるのは、どちらの事業もコロナで既存の需要はマイナス影響を受けた一方、新たな需要を取り込めるチャンスでもある。その新たな需要をこのタイミングでしっかり取り込むことで、コロナが一定の落ち着きを見せた後は、新旧2つの需要にきっちり対応していくことができると考えていますので、見方を変えればチャンスと捉えています。

自分の力で人生を切り開いた学生時代

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-- 木村さんの過去について遡らせていただけますでしょうか。どんな青春時代を過ごされていたのでしょうか。

私のキャリアは公認会計士の資格を取ってからスタートするんですが、子どもの頃から目指していたわけでも近くにそんな人間がいたわけでもありません。両親は共働きの普通のサラリーマンです。

地元神奈川の県立高校では、部長を務めていたラグビー部で毎日ラグビー漬けの生活でした。同期のラグビー部は12人いてその中では私がいつも一番成績が良かった。ただ、そんな私も学年全体では400人中370位。要は、後ろの30位にラグビー部全員いたわけで、職員会議でもたびたび問題になったと聞きました(笑)。今では全員全く違う道に進んでいますが、年に数回飲みに行く一生の友人たちです。

大学進学にあたっては小さい頃から興味のあった観光を学びたいと思っていたんですが、高校卒業の94年当時は観光を学べる大学はほぼ無くて。唯一と言ってもいいのが立教大学社会学部観光学科(当時)でした。高校時代、部活内では神童扱いでしたが世間的には偏差値40程度だったので、部活引退してから受験まで半年ぐらい必死に頑張ったらなんとか合格しました。大学の時には、旅行業務取扱管理者という資格すら取りましたが、結局、1ミリも観光に関わる仕事に就いていませんね(笑)

-- 木村さんがどのような就職活動をされたのか気になります。

大学の同級生の1人に、三浪してやっと立教に入り、大学時代もぷらぷら遊んでいて正直優秀には思えない友人がいました。私には、当時行きたい企業があったんですが、彼に何げなく「就職どうするの?」と聞いたら「祖父の伝手でどこでも行けるから、就職する会社はもう決まってるんだよね」と、私の第一志望の企業名を言われたのです。

その時、生まれた時から決定的な差がついていたこと対して衝撃を受け、同時に、自分は自分の力で勝負できるような仕事をしていきたいと思い、考えた結果、公認会計士の取得を決意しました。聞いた当初は彼に嫉妬もしましたが、彼に出会っていなかったら絶対に今ここには居ません。卒業後は一度も会っていませんが、感謝しています。

監査法人トーマツ時代に先輩から学んだ、経営者目線で要望をかなえる仕事の術

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-- 自分の力で自分の未来を切り開く。それで会計士試験に合格し、トーマツに入られたと。

はい。会計士になったのは、会社経営に携わりたいという想いからでした。特にベンチャーに興味がありました。しかし、会計士としての経験を積むためにもまずは監査法人で修行する期間が必要と考え、トーマツに入りました。

トーマツでは大手企業の担当がメインでしたが、同じ部署にいた8つほど先輩の山澄さんという会計士の方が部内でも独自の動きでベンチャーを数多く担当されていて。当時私は1年目ながら図々しく山澄さんにお願いして一緒にベンチャーを数社担当する機会に恵まれました。山澄さんには、公私ともども良くしていただき、ベンチャーの経営現場のみならず監査法人でのビジネスなども近くで学ばせていただきました。

私が言うのもおこがましいですが、山澄さんはコミュニケーション能力が非常に高く、物事の本質をしっかりと掴まれていた。監査法人の業務は非常にシステマティックなので、一歩間違うとマニュアル通りにしか仕事が出来なくなってしまう。そんな中、経営者目線でビジネスを語る山澄さんのスタイルを非常に尊敬してました。

山澄さんはその後北米へ駐在されることになり、一度だけ駐在先に遊びに行きました。先日帰任されたようで、トーマツ内でもなんかだいぶ偉くなられているようです(笑)

-- 先輩の山澄さんが担当されている先で出会った方が、その後グローウィン・パートナーズを創業される佐野さんだった。

そうですね。佐野さんは当時、山澄さんが担当するベンチャー企業の1社でCFOを務めていました。佐野さんもトーマツ出身の会計士で、実は山澄さんと佐野さんは会計士試験の合格同期でトーマツも同期、しかも大学も同じということで学生時代からの友人でした。

「友人がかわいがっているトーマツの会計士」ということだったのか、佐野さんにも仕事を通じて非常に多く勉強させていただきました。

クライアントと監査人の立場なので、「勉強」というのはちょっと違うのでしょうけど、私がその会社の会議室でひとり仕事をしている時も佐野さんはよく来てくださって、その都度、経営者として、会計士の先輩として、あるいは人生の先輩として非常に多くの話を語ってくださいました。

その後、数年にわたり山澄さん・佐野さんとは仕事をご一緒させていただき、いよいよそのベンチャー企業が上場するとなった際、佐野さんから「この会社でやるべきことはやった。これからはこの経験を多くの企業に展開するコンサル会社を創る」と起業される話を聞きました。折しも山澄さんが北米に赴任された直後でもあり、「佐野さんの近くで働きたい」と即断し、佐野さんに入社をお願いしました。

駐在中の山澄さんとはskypeで2時間ほど話し、「トーマツの人間としては絶対に引き留めたい。だけど佐野の友人として考えると木村がいれば心強いはず」と背中を押してくれました。

創業間もない企業に飛び込んだ後、上場企業で経営企画を経験

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-- 創業したての会社ではどんな業務をされていたのですか?

会計士っぽいことで言えばM&A、IPO支援、会計コンサルなどですが、それ以外のこともなんでもやっていました。パンフレット作成、営業、契約書製本、オフィス引っ越し、備品発注まで、監査法人では誰かがやってくれていたことを自身でやることがとても新鮮で「会社にいる」って感じでした、恥ずかしながら(笑)。

-- 当時は、創業初期の会社に入って役員になりたいといった野望はなかったのですか?

「会計士」というタイトルがあるだけではベンチャーの役員なんて到底なれません。いずれはベンチャーでCFOになりたいという想いは強くありましたが、そのためには自分自身にもっと武器も経験も必要。

佐野さんに魅力を感じたのは、人間性はもちろんですが、ベンチャーCFOとしてロールモデルとなっていたことも大きかった。実際、佐野さんは多くの武器を持っていたんです。だから、佐野さんの近くで仕事することで、少しでも多く彼から学び取っていずれは彼のようにベンチャーの経営に携わりたい、と考えていました。

その後4年半ほど働き、最初は5人だけだった社員も30人ぐらいに成長したタイミングで更なるステップアップを目指し、卒業しました。卒業する際、佐野さんから「これからは1人のビジネスマンとして対等な立場でお互い頑張ろう」と送り出していただきました。今でも良くしてくださっていますし、今の私の基礎を作ってくださり大きな影響を与えてくれた尊敬するメンターです。

-- 事業会社のアニコムはどういった軸で探されたのでしょうか。

当時は2010年でIPOマーケットがどん底でした。そのような環境下だったので、未上場企業ではなく、「新興市場に上場直後で成長している企業かつ経営企画」で絞ってエージェントに希望を出し、出会いました。

入社当初は資産運用の部門に配属になりました。保険会社は保険引受と資産運用が主な業務ですので重要な部署です。アニコムはペット保険という1年単位の損害保険なんですけど、資産運用部門が当時のアニコムにはまだ無かったので部門の立ち上げから始めました。結局、1年半ほど資産運用業務に携わった後、保険金支払い部門を経て経営企画に異動、CVCの立ち上げなど様々な業務を任せていただきました。

-- 様々な事業に携わる中で印象に残っているお仕事はなんでしたか?

会社のみんなが一番喜んでくれた東証一部へ上場(マザーズからの市場変更)した時です。マザーズ上場後数年経過していたことから主幹事証券・東証とも審査はキッチリ行われました。無事に承認をもらって、50人の社員と一緒に東証に行って、五穀豊穣の鐘を鳴らしに行った時は、みんな喜んでくれて良かったなと。

みんなからは本当に多く「おめでとう」と言われましたが、私にすると「おめでとう」はむしろ私からみんなに言う言葉なんです。社員みんなの仕事が評価されたからこそ成し遂げられた結果であって、私はそれを資本市場に通訳しただけ。たしかにこのプロジェクトは私ひとりだけでしたが、「俺がやったぜ」みたいなのは本当に一切思わなかったです。「嬉しい」というより「ほっとした」。それよりもみんなが喜んでくれてよかった、という想いが強かった。

IRの仕事も同じ想いでした。四半期ごとに数十社の機関投資家と1on1を行ってきましたが、その結果株価が上がったとしても自分の成果とは思わなかった。時価総額は会社の通知表みたいなものなのですが、社員1人1人の日々の努力が正しく通知表に評価されるために資本市場の通訳として自分がいるだけで、主役は社員です。彼ら彼女らの日々の努力と成果が資本市場にどう評価されるかは投資家と対話しているIRに掛かっている、そう考えると非常に重要な仕事でやりがいがありました。正しい評価を行ってもらっていると感じたときは、社員みんなに「おめでとう」と感謝していました。

ハイリスク・ハイリターンの事業体を求めコインチェックへ

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-- アニコムを辞めて次に行くときは、どういう経緯があったんですか。

アニコムでは一部上場PM、CVC社長、M&A、IRなど非常に多くの経験を積むことができ、会社としても安定成長フェーズに入ってきました。同僚との人間関係も良好でしたしそのまま残れば快適だったかもしれませんが、キャリア当初からの「ベンチャーでチャレンジしたい」と思いは消えていませんでした。

多くの経験も積みましたし、「今なら」と思い卒業を決めました。転職活動中は色々なお話しをいただきましたが、最終的に決めたのはエージェント経由でご紹介いただいた現在のコインチェック、当時はまだレジュプレスという社名でした。

-- どのような理由でコインチェックを選ばれたのでしょうか。

3つあります。まずトップの和田さん含めチームが優秀でした。といっても当時は全員で6人しかいませんでしたが。2つ目は自分の経験が活かせることと会社が求めていたスキルセットがマッチした、つまり会社と私の需給が一致した。特にアニコム時代の金融庁との折衝経験です。当時コインチェックは仮想通貨交換業者として金融庁登録を目指していましたのでフィットしました。最後に事業です。仮想通貨の可能性にベットしました。

-- 2016年当時、ビットコインについて誰も知らない時代だったと記憶しています。

当時、まだ仮想通貨は今のようにメジャーではなくビットコインも5万円程度、多くの人にとって「怪しい」と思われていました。正直、私自身もエージェントから紹介されたときは「マウントゴックス事件ってあったよな」「ビットコインってまだあったのか」が最初の感想でした。ただ、少し調べてみるとマウントゴックスが個社の問題であったことやブロックチェーンの仕組みなど仮想通貨自体には大きな将来性があることを自分なりに見出せ「これは面白いかも」と思いました。

その後、最終的にオファーいただいたのは3社。その3社について100人に聞いたら100人誰もコインチェックを選ばず、全員に反対されました。なので、コインチェックを選びました。

-- 逆に選んだ、と。

別に天邪鬼なのではなくて「周りはまったく気付いて無いんだな」ということです。みんなが「いい会社だね、いいビジネスだね」と思う事業ならレッドオーシャンになることは目に見えています。大手資本が参入すればベンチャーは勝てるわけない。しかし当時の仮想通貨は100人全員が可能性に気付いていないし、むしろ敬遠していた。

一方、私の中ではすでに仮想通貨が怪しいという想いは無くなっていましたし、マーケットは金融という巨大市場。加えて和田さん筆頭に優秀なチーム、自分の経験も活かせる。これから先の5年10年一緒に駆け抜けられて、かつハイグロースの可能性がある領域。ハイグロースの可能性があるということはハイリスクかもしれないですけど、当時はまだ結婚もしていなくリスクを背負うのは自分だけ。それで決めました。

今ではその時にオファーいただいた会社でもう上場している会社もありますしコインチェックにはその後大きな困難が待っているわけですが、強がりではなく当時の選択が誤ったとは今でも思っていません。

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和田CEOと仮想通貨の市場を取りに行くことを決意

-- 一般的にCFOというと、資金調達が大事な仕事の一つだと思うのですが、コインチェックではCFOとしてはどういった仕事をされたのでしょうか。

CFOって別に資金調達はじめお金周りだけやっているわけではないです。むしろ調達はその後の投資家との定例含めて季節商売と思っていて。私がコインチェックにCFOとしてジョインした時はまだ7人目の社員だったこともあり、その他の6人が事業に完全に集中できるようそれ以外のことはすべてやっていました。

例えば、私が一人目の管理部門として入社して、その後30人になるぐらいまで経理も人事も一人でやっていましたし、自分自身のもの含め入社書類を手書きしてハローワークや労基に毎月通ったり、登記のために法務局を何往復したりもしていました(笑)。会社が大きくなるとそのうち部下がやる事になるのですが、実務を知らないのに指示だけ出すのが嫌だったんです。だから最初は全部やっていました。メンバーの仕事を理解するためにも実務を実際にやってみる。でないと、メンバーからの信頼は得られません。特にベンチャーでは非常に大事なことだと思います。

そういえば笑い話ですけど、社員が15人ぐらいに増えてきたとき、週1でシャッフルランチをやり始めたんですよ。でも、会社の中に小口現金もなかったですし全部自分が立て替えてたんです。そのうち社員が急激に増え、最終的に60人ぐらいの分を全部自分が立て替えていたので、シャッフルランチのあった毎週水曜の朝はATMで自分の預金から10万円おろすことが仕事でした。さすがに見かねた経理メンバーがコスト掛けて立替制度導入してくれましたね(笑)。

もちろん、CFOっぽいこともやっていました。投資家との定例や株式移動のDD、IPO準備、金融庁折衝や会社全体や管理部門の組織作りもやっていました。管掌していた管理部門のマネジャー陣はすべて自分自身でwantedlyで見つけてスカウトメール送ったメンバー。みんな入社後活躍してくれてとても助かりました。

NEM流出事件の際、CFOとしてどう動いたか

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-- コインチェックで暗号通貨のNEMが盗まれたという事件がありましたが、あの時の話を教えていただけますか?

事件があった2018年1月26日は、実は私の誕生日なんです。その日は昼を挟んで投資家のオフィスで面談していて、さて帰ろうかなと思ってパッとスマホを手に取ってみたら、面談中のわずか1時間の間に30件ぐらいCOOの大塚さんから着信履歴があったんです。入社して1年以上経っていましたが、電話があったことは1回もなかった。どんな時でもSlackでした。にも拘わらず鬼のような着信履歴があったのを見て「まずいことが起きたな」と、すぐわかりました。

電話したら「NEMがすべてハッキングされました」と。当然大塚さんはパニックになっていたんですけど、自分のなかでは焦りよりも「NEMであれば今のキャッシュでギリギリ補償できるんじゃないか」と頭に浮かんだことはよく覚えています。

-- 事件が発生してからどう動いたのかお聞かせいただけますか?

投資家オフィスから会社までの帰りの電車のなかでずっと、対外的な事後処理のことを考えていました。技術的なことは和田さん筆頭にエンジニアたちに任せるとして、社内外の関係者はもちろん、世間へのインパクトも相当なものだと想定できたので。

30分ほどで会社に戻ると社員15人ほどが戦場状態でした。すでにネットでは少しざわつき始めていて、程なく全社員に発表。株主や顧問弁護士、危機対応コンサル会社などに報告や対応依頼を行い、その日のうちに記者会見することを決めました。渋谷警察にもその日の夕方に相談に行きました。さすがにキョトンとされましたが。その頃にはオフィスを取り囲むようにマスコミの取材車やユーザーでビルの周りは溢れかえっていました。

記者会見は安全性確保のため場所の選定が難航し、結局深夜0時から東証に決まりました。オフィスのビルを出てからタクシーが待つ50mの間も記者に囲まれながら移動、会見場には200人ぐらいの記者たち。

私も会見には並ぶ予定だったので黒いスーツと黒いネクタイをしていましたが、最終的には取締役だった和田さん、大塚さん、そしてDay1から最後まで本当にお世話になった森・濱田松本法律事務所の堀先生の3人で会見することになりました。会見は2時間に及び、その後は森濱の事務所に立ち寄ってミーティングした後、4時くらいに会社近くのホテルに戻りました。

-- 壮絶なお話しですね。諸々の対応を終えた後どう着地していったのでしょうか。

当たり前ですがその後も困難の連続でした。そのなか、私は金融庁対応含めた渉外と社員への可能な限りの情報開示、モチベーション維持に腐心していました。当時のコインチェックはたしかに大きく稼いでいましたが、誠実に経営もしていました。仮想通貨交換業者としての登録はまだでしたが、決してセキュリティを無視していたわけなどではなく外部専門家にもお願いしてまさに強化に動いている最中でしたし、法律面での体制整備も行っていました。たしかに至らぬ点もあったかと思いますが、事件の前も後も、各社員がベストを尽くしていましたし、だからこそ社外からも多くの方にご支援・ご協力いただけたのだと思います。堀先生をはじめ森・濱田松本法律事務所の多くの弁護士の方々、複数のセキュリティ専門家の方々、リスク管理・マスコミ対応支援の方々、ヘルプで来てくれた多くの優秀なエンジニア達。他にもオフィスのオーナーや警備会社の方など、御礼を申し上げたい方々は挙げればキリがありません。

-- 言葉にすると陳腐ですが、これ以上ハードなシーンはないですね。

そうですね。事件への対応もそうなのですが、今後の事業継続を考えると早期に経営陣と株主の刷新が必要な状況でした。ただ、NEMの補償は終わったもののコインチェックは今後様々な切り口から数多くの提訴が想定される大きなリスクがある会社だったので、譲渡先やそのスキームは難航しました。水面下で、複数の候補先と折衝しては消え折衝しては消え、を繰り返してタイムリミットが迫るなか、買収を決断してくれたのがマネックスの松本さんでした。

3月中旬の夜中。マネックス側は松本さん、現マネックス証券社長清明さん、前コインチェック社長勝屋さんの3人。コインチェック側は和田さん、大塚さん、私の3人が「初めまして」のご挨拶した以降、スピーディーに進めてくださり本当に感謝しています。あのときマネックスの決断が無ければコインチェックはおそらく生き残っていません。

事件直後、木村CFOが逃げ出さなかった理由

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-- 事件が起きた時に逃げ出したくなってしまわなかったのですか。

コインチェックの一員として自慢のひとつに、事件当時90人程度いた正社員が、マネックスに買収されるまで誰一人辞めなかった事があります。

不祥事を起こした会社ってたいてい他の会社が社員を刈り取りに来るじゃないですか。スカウトするには絶好ですから。でもコインチェックのメンバーは、「◯◯からスカウト来た~」ってslackで言うだけで、どこにも行かなかった。きっと全員、「自分たちの力で立て直して、日本一だった頃の輝きをもう1回このメンバーで取り戻したい」という人ばかりだったんです。「和田さんが率いているこの会社であればそれが出来るし、チャレンジしたい」と。それは私も同じでした。ただ、マネックスによる買収が決まってからは残念ながら徐々に抜け出しました。

私自身も複数の方から引き抜きのようなお話しもいただきましたが、社員に対する責任を果たすまでは一切考えませんでした。会社の売却を主導した当事者でもあるので、社員に対する説明責任がある、社員が自分の人生を決断するためのメニューを提示する責任がある、と考えていました。

私自身もマネックスへの売却直後は「このメンバーでもう一度頑張りたい」と思っていましたが、買収から半年ほど経過してからは買収された側でのPMIの難しさを痛感し、社員への責任を果たした段階で退任することを決め、粛々と準備していました。結局M&Aから1年半掛かってしまいましたが、社員への説明責任を果たすことができたので新たなチャレンジに向け退任しました。

新たなチャレンジを求め、旧態依然とした建設業界のDXに挑む

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-- そこで弊社ヒューマンキャピタリストの清水美保と出会ったのですね。どのような印象を受けましたか?

私が拘りたいのが「経営者と事業の2軸であること」と告げたのに対し、しっかりとそれに沿った会社を提案してくださった、という印象です。ありがたいな、と。

-- クラフトバンクとの面談の時、どう感じられたか教えていただけますか?

最初は社長の韓さんと会い、事業説明を受けトータル2時間くらい話しました。事業自体は当然ですが、韓さんのこれまでのキャリアや大川さんとの関係性に興味を持ちました。あと「コインチェックで相当大変だっただろうから、半年くらい休んだら?」と言われたことは覚えてます。面白いこと言う人だな、と(笑)。後から考えると「休んだのだからその後は全力投球してね」ってことでしたが(笑)。

また、大川さんは中学生以降の黒歴史も白歴史も語ってくれて。波乱万丈な人生で多くの経験をしてきたなか、今こうしてこの業界と会社に対してピュアに向き合っていることを知り「この人を世に出したい。それがこの業界、引いてはこの国のためになる」と思いましたし、今でもその思いに変わりはありません。

-- 今回の事業にかける想いをお聞かせいただけますか?

私はこの事業を、「残りの人生を賭ける価値がある」と思っています。この業界はレガシーかつ巨大で、絶対に無くならない。IT化も全然進んでいない。まだまだ50代60代70代の人たちが現役。それはそれで素晴らしいことですが、だからこそ解決すべき課題が長期かつ山積している。20代から40代のたちが表舞台に立ってこの業界を良い意味で変えていくには5年や10年というレベルではなく、より長期に取り組まねば、という意識があります。

進化の中心で挑戦を選択する者達へ

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-- このインタビューを読んで、例えば、公認会計士さんのなかでCFOになりたい、という人が出てきてくれると思うのですが、何かアドバイスをいただけますでしょうか。

資金調達やIPOとかキラキラしてそうですが、仕事はそれだけではないです。ベンチャーのCFOは基本的に管理部門を全部見る立場なので、会社のステージによっては1人管理部門として何から何まで自分でやる必要があります。監査法人と違って、事務員や掃除のおばちゃんもいません。そういうことにも自ら手を動かして自ら決めることも仕事と思えることは重要です。

-- まさしく、管理部門全方位ですね。どうしてそこまで幅広く、業務に当たるのでしょうか。

私見ですが、CFOは主役になったり目立ったりすべき立場では無いと思っています。「資金調達を主導」と言えば恰好いいですが、その調達を可能にする企業価値を作っているのは事業サイドのメンバーです。

CFOは資本市場や投資家に対してそれを通訳しているだけで、主役は事業です。事業サイドのメンバーが極限まで事業に集中できる環境を作ることこそがCFOの役割であり価値だと思っています。もちろんそれは資金調達に限らず、たとえば備品1個買うのでもツール1つ導入するのでも同じです。

今で言えば、仮に社内やビル内にコロナ感染者が出た場合の措置や予防策、出勤体系を決めることも仕事です。お金が絡むためということもありますが、1秒たりともそんなことに社長の韓さんはじめ事業メンバーに時間使って欲しくないんです。その時間も事業に集中して欲しい。それはCFOの仕事では無いと思うなら、たぶんその人はCFOに就いてはいけないんだと思います。

-- 責任感を感じるズシンとくる言葉、ありがとうございます。最後に、クラフトバンクに興味を持った方へ一言いただけますでしょうか。

我々が取り組んでいる市場は自動車に次ぐ巨大産業ですので、自分たちの力で兆円単位の大きなインパクトを与えられる可能性があります。経営陣や株主には経験豊富なシニアが揃っている一方、現場のメンバーはベンチャー出身の20代30代が中心、女性比率は3割以上です。チャレンジしがいがある市場ですし組織自体も成長途上なので、ぜひ「このレガシーで巨大な業界を自分の手で変えていきたい」という気概のある方のご連絡をお待ちしています!

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EVANGE - Director : Kanta Hironaka / Creative Director : Munechika Ishibashi / Assistant Director : Yoshiki Baba / Assistant Writer :Ryohei Watanabe, Yuto Okiyama / PR : Hitomi Tomoyuki / Photographer : Jin Hayato

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