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「やるからにはプロのクオリティでやり切る」東大医学部、小説家、プログラマー、投資家を経た、石井大地がGrafferを起業するまでの軌跡

“ニューエリートをスタートアップへ誘うメディア” EVANGEをご覧の皆さん、こんにちは。for Startups, Incの弘中と申します。
私達が所属するfor Startups, Incでは累計100名以上のCXO支援を始めとして、多種多様なエリートをスタートアップへご支援した実績がございます。
EVANGEは、私達がご支援させていただき、スタートアップで大活躍されている方に取材し、仕事の根源(軸と呼びます)をインタビューによって明らかにしていくメディアです。今回は私たちの“起業支援”を通じてCEOになられた石井氏にインタビューをしてきました。起業にご興味がある方は、是非ご覧ください。

石井 大地 (Daichi Ishii)
東京大学医学部に入学後、文学部に転部。2011年に文藝賞を受賞し小説家としても活躍。その後、医療系スタートアップ企業での事業立ち上げ、リクルートでの事業開発投資等を経験し、2017年に「テクノロジーの力で行政を効率化する」という事業コンセプトのGrafferを創業。

Grafferの展開する「Govtech」とは

-- いまGrafferで手がけている事業について教えてください。

Grafferでは行政の分野をテクノロジーで効率化する様々なサービスを展開しています。我々のサービスを使えば、事業者や個人の利用者が、お手持ちのスマートフォンやパソコンなどから便利に行政手続きを行えます。

法人でいえば、たとえば登記簿謄本や印鑑証明書などを入手・提出しないと契約や口座作成ができないことがあります。このような証明書の取得をウェブから簡単に申し込めるサービスを「Graffer法人証明書請求」として提供しています。
個人向け事業の「Grafferフォーム」では、住民票の写しや戸籍謄本等を、同じようにインターネットから必要事項を記入し、クレジットカード決済を行うだけで役所への証明書の郵送請求を行うことができます。

-- 実際に行政と協力して進められている事業もありますか。

行政向けに提供しているサービスとしては、「手続きガイド」があります。既に第一弾の事例として鎌倉市に導入されています。この「手続ガイド」を使うと、鎌倉市で引越しや結婚を行う際、どういう手続きが必要かをその人の状況に合わせて簡単に調べられます。鎌倉市では、結婚、離婚、出産、引越しなどのいわゆる「ライフイベントの手続き」が月に1,500件程あります。弊社の「手続きガイド」は、月間で1,000人以上のユーザーに活用していただいています。鎌倉市だけでなく、既に複数の自治体で導入実績があり、今後も導入事例は増えていく見通しです。

Graffer×鎌倉市の事例

事業者向け、個人向け、行政向けと多種多様なサービスを展開しておりますが、すべての前提となる問題意識は、「行政手続きは誰もが避けることができない」ということです。どんなに面倒でもやらないわけにはいかない。その面倒さを技術の力で解決できるのではないかと思い、創業しました。

Graffer創業時の課題意識とマーケットに感じた勝算

-- 起業される方の中にも、市場の大きさを見込んで起業される方と、身近な問題から改善したいと起業される方の2パターンあると思いますが、石井さんはどのような経緯で起業されましたか?

どちらにも当てはまると思います。

身近な問題ということでいうと、行政手続きが面倒だというのは、私自身も含めほとんど全ての人が合意するであろう身近な課題です。もともと事業アイデア自体は、インキュベイトファンドの村田さんと話す中で出てきたものです。誰もが避けて通ることができない行政手続きを効率的に行えるようなウェブサービスを作れば、喜んで使うお客さんがいるだろうと。ちなみに、その村田さんを最初に紹介してくれたのがfor Startupsの志水さんだったわけです。

マーケットの規模ということでいうと、はっきりと「こういう市場」というものがあるわけではなかったのですが、自分なりにいろいろと調べたり考えたりするなかで見えてきました。
個人や事業者が行政手続きする時には、当たり前ですが必ず時間がかかります。この手続きにかかっている時間をコストと考えると、例えば時給2000円で5時間費やしていれば1万円のコストになるわけです。
日本ではこのような形で行政手続きにかかるコストをマクロで試算した調査結果は残念ながらありません。しかしヨーロッパではちゃんと調査がされていました。例えばイギリスだと大体GDPの1%くらい、デンマークだと2%くらいが行政手続きをする人の人件費とされています。日本に当てはめると、GDPが約500兆円ですから、だいたい5〜10兆円が行政手続きに費やされていると推測できますが、日本は年末調整など企業の手続き負担が大きいので、おそらく10兆円の方に近いと思います。これだけの額が、書類を書いて役所に出す、といった活動に費やされているのはすごいと思いませんか。しかも、ヨーロッパの試算は「事業者の行政手続きコスト」に限定しています。個人の方が費やすコストも含めて考えるとさらに莫大なものになるでしょう。

さて、もう一つ数字を挙げさせて下さい。日本における給与総額がいくらかご存知ですか?これはだいたい200兆円です。そうすると、この200兆円のうち、10兆円弱が行政手続きに費やされているとするなら、単純計算で会社で働くひとのうち20人に1人が書類を作って役所に出すことを仕事にしていることになります。

5~10兆円ものコストを費やしている行政手続き業務を効率化できたら、マーケットになると思いました。事業者の方が、行政手続きにかかる手間=コストを10分の1にできるサービスがあったらお金を払うはずです。

個人でも、たとえば引越しなどの際に、わざわざ有給休暇を取って役所に行くことがあると思います。本来、有給休暇は遊んだりショッピングをしたりして好きに楽しむべきものであるはず。役所に並ぶ時間を減らせば貴重な時間を有効に使えます。ですから、個人でも行政手続きを楽にしてくれるようなサービスにお金を払う人は少なくないと考えました。

会社がかけている5~10兆円の行政手続きコストと、個人が有給を消費して役所に並んでいるコスト。これらの総量はいずれもかなり大きいと考えました。

身近な課題意識とマーケットの大きさについて、それぞれ以上のように考えた上で起業しました。

人が感動する理由を追い求め、医学部から小説家へ

-- 学生時代から遡らせてください。「テクノロジーの力で民主主義を拡張する」というビジョンを聞くと政治学部のバックボーンをお持ちの方と想像しがちですが、石井さんは医学部にいらっしゃいました。医学部に入られたのはなぜですか?

医学部に入ったのは脳科学に興味があったからです。私は昔から文章執筆や音楽制作などの創作活動が好きでした。暇な時間のほとんどは映画や音楽、ゲームなどの芸術・エンターテイメントに費やしてきました。人間はなぜ・どのようにして芸術や創作物に感動するのか。そのメカニズムが知りたくなって、脳を研究したいと思っていました。

-- 医学部に入ったのち、なぜ小説家になろうと思われたのですか?

もともと、小説というよりも創作全体に興味がありました。

学部に入り、「芸術に感動する脳」を研究しようと思い、実際に脳科学の研究室に入っていろいろと実験をさせてもらいました。MRIや脳波計を使って、様々な活動をしているときの脳の状態を調べ、数値化していくんです。しかしながら、その時点の脳科学では、形や色などの知覚を理解するような研究が主流でした。脳科学研究の最先端であっても、「芸術に感動する脳」といった複雑なものを理解するまでには、まだ果てしなく長い道のりがありそうに思えました。私がせっかちだからということもありますが、このまま脳を研究していっても「感動の正体」についてはわからないと思いました。結局、自分で創作し、創り手として「感動の正体」を極めていく方が自分には良いのではないか、と結論しました。それが、医学部在籍中の3年生のときです。

それから、テーマを決めて何年間か芸術をちゃんとやってみようと思い、プロの小説家を目指そうと考えました。
もともと文章を書くことが得意でしたし、実際、大学入ったあとに受験勉強の参考書を何冊も書いて出版していました。本を書く水準の文章力はあるから、それを文芸創作の方に伸ばしていけば、音楽や映画などのジャンルよりも早くプロになれると考えました。

そういうわけで、医学部を去って文学部に転部することになるのですが、このとき、柴田元幸先生という英米文学の翻訳者としても活躍されている大変有名な先生の研究室に運良く入ることができました。医学部からやってきたということで面白がってもらえた側面もあるかもしれません(笑)

-- 普通は、いい会社に入るために、いい大学行きたいという方が多いと思いますが、石井さんは東大に入った時に見据えていた将来などありましたか?

全然ありませんでした(笑)

大学入った時に丁度興味があったのはビジネスです。そのころは「ホリエモン」こと堀江貴文さんがテレビに出まくっていて、今の一世代前のベンチャーブームにあたる時期でした。

堀江さんをはじめとする多くのIT起業家の姿を見て、自分でも何か事業をやりたいと感じていました。私の場合、受験勉強の方法論を商売にしたら面白いと思ったので、大学に入ると早速出版社に企画を持ち込み、参考書や勉強法の本をたくさん出しました。たまたま、『ドラゴン桜』がドラマになって東大生ブームになっていたこともあり、出版不況と言われるなかでもまずまずの売れ行きとなりました。勉強法の本が売れたことで、多くの方から依頼がきたこともあり、家庭教師や塾講師などをしていくうち、気づけば塾の経営にも関わっていました。そして、塾を経営している時に、アルバイトに多くの理系の東大生がいたこともあり、彼らのプログラミング能力を活かしたITの受託開発事業もはじめました(笑)。

-- 石井さんの「多動力」は凄まじいですね!ところで、文学の世界に入られて3年間で賞を取られていますが、どんなトレーニングをされましたか?

私は文章を書く能力という意味ではある程度の自信がありましたが、文学作品を読んできた量が他の文学部の学生よりも圧倒的に足りなかった。文学、小説という世界の常識をあまり知らない状態です。ですから、まずは「読む量を確保する」ことが最初の課題でした。とにかく大量の良書をひたすら1,000冊、2,000冊と読んでいきます。それと並行して自分でも小説を書いていくのですが、やはり参考書やハウツー本とは勝手が違うので、まさに悪戦苦闘しながら文章と格闘した3年間でした。

小説家になると決めてから2年以上、まず作品をちゃんと形にすること自体ができない状態が続きました。しかし3年目になると急に、「これだ、これならいける」という明らかな手応えを得るに至りました。

いまから思えば、それは「制約によって物語と文章を前へ進める」という技法を確立したことが要因です。それまで、小説という自由なフォーマットのなかで、なんでもできるけど、何をやってもしっくりこないということを繰り返していました。そこであるとき、気分転換に「一人称現在形しか使わない」「読点を使わない」などのルールを設けて気軽に書いてみる、というのをやってみたのです。そうしたら、すらすらと文章が書けて、物語に勢いが生まれてくるのです。自分でも続きが読みたくなって、先の展開が出てくる。
それまで自分の感情がどろどろと垂れ流されるような文章だったのが、一定の制約を設けることで淡々とした中にもリズムが生まれ、自分で書いたものを自分で客観的に見られるような余裕が出てくる。そこから、私の「文体」ができました。

この「文体」に夢中になり、次はどうなるのか?と自分も一読者のような立場で楽しく文章を書いていきました。そのようにして完成させた作品を2つ、別々の賞に出しました。片方は最終候補まで残りましたが落選、もう一作で受賞しました。

-- そこから小説家としてやっていかれたんですか?

デビューして以降、様々な雑誌に長編小説、短編小説、それから短いエッセイみたいなものを書いていましたが、生活としてはとても苦しかったです。年収でいうと80万円くらいです。小説は1作を完成させるのに1年から1年半くらいの膨大な時間がかかります。いくらモチベーションがあっても、生活できなければ続けられない。やる気と稼げない現実の間で悶々としながら作品を書くことを2年程続けていました。2013年に2作目となる長編小説を出版したことを機に時間をとって考えました。このまま小説家を続けていくべきなのか。

小説ではなくコードを書き、挑んだ小説投稿サービス

小説を書くことは面白いけれど、本を出しても思うように売れず、原稿料も安い。現実的にこれで生きていくのは厳しいなと感じていた時期に、ふとプログラミングをやってみようと思い立ちました。創作の情熱を小説ではなくウェブサービスに向ける方が多くの人に届くかもしれないと。小説の読者はせいぜい数千人ですが、ウェブサービスなら何十万人、何百万人に使われる可能性があります。

自分が小説家であるというバックグランドを考え、手始めに小説投稿サイトを作ることにしました。私はその頃、小説家としてTwitterをやっていて、ある程度のフォロワー数がありましたので、小説家が作った投稿サイトということでTwitterで紹介したところ、興味のあるユーザーさんが数百人という単位でサインアップし、たくさんの小説や評論を投稿してくれました。サイトの中では、ユーザーがレビューや批評をしあい、そうした反響を集計して良い作品がランキングに表示されるように工夫していきました。小説の世界では実績のあるベテランの作家や評論家が評価して賞を決めますが、大勢のユーザーが良い作品を発掘するアーキテクチャができたら面白いと思っていました。

その時から、ウェブサービスの面白さに夢中になりました。小説は1年間絞り出して作り上げた作品でも何人が読んでいるのかわからない状態でしたが、ウェブサービスでは最終的に半年で3,000人ほどのユーザーが投稿するようになり、PVも一時期は100万を超えていました。プログラミングをはじめたばかりの私がつくったサービスで、デザインや機能も稚拙だったのに、これだけ反響があるわけです。なんとかこのサービスをビジネス化できないかと思い、会社を登記しました。

瀧口さんとの再会とMEDLEYへのJOIN

-- その後、自分の会社を作りながら、MEDLEYさんにいらっしゃいましたね。

小説投稿サイトの運営会社を作り、出版社と組んだ作品の出版プロデュースなどをやりましたが、結果としては収益化はできませんでした。そんなとき、株式会社メドレーの社長をやっている瀧口さんと会って近況を共有するなかで、メドレーに入らないかと誘ってもらいました。私は立ち上げたビジネスを軌道に乗せることはできませんでしたが、サービスを自分で作って自分でお客さんを呼んで、一定の規模までグロースさせることはできていた。この点を評価していただいたと考えています。

もともと、瀧口さんは高校時代から起業されていて、昔から界隈の有名人でした。私も知人などから話を聞いており、その存在に憧れていました。最初の出会いは私が作家デビューしたあとのTwitterでのやりとりで、そこから「ちょっと飲もうよ」となって、その後は、思い出した頃にたまに会うような関係でした。そういった関係のなかで、ウェブサービスを立ち上げた結果、自分のことを認めてもらい、メドレーに誘ってもらえたことは正直に言ってかなり嬉しかったです。

-- MEDLEYでどんなことをやられましたか?

2014年の終わり頃、消費者向けの医療メディアを手掛ける方針が決まり、2015年の2月ぐらいにリリースすることが決定しました。リリースに向けて2カ月くらい、医療に関する深い知見をお持ちの(現・代表取締役医師の)豊田剛一郎さんがコンテンツの整備を、私がコード書くという分担で必死で働いていました。

そこに、瀧口さんや豊田さんが各界の優秀な人たちをどんどん集めてきて、また私の知人のツテでも人が集まり、あっという間に新規事業チームが形成されていきました。「医療の専門家が書く医療情報メディア」というコンセプトで、医者中心に、理学療法士や薬剤師、看護師などの専門家の先生方に協力をお願いしてコンテンツを貯めてきました。

2016年5月末に退職するまでの1年半程、医療情報メディアのグロースに向け、結果を出すために毎日戦っていたように思います。いま思えば、一度事業に失敗したという負い目があったために「今度こそは失敗できない」と、大きなプレッシャーを感じていた面があったかもしれません。

スタートアップからリクルートへ転職した意図

-- その後リクルートに行かれましたが、何を目的に行かれたのですか?

起業の準備です。

メドレーでメディアの立ち上げ・グロースに関与するなかで、一定の自信もついてきて、もう一度、自分でスタートアップしたい気持ちが増してきました。しかし、メドレーから一足とびに起業しなかったのは、自分自身に足りないものを痛感していたからです。

メドレーの代表である瀧口さんや豊田さんはスタートアップ界隈にいっぱい知り合いがいて、優秀な人材、投資家、事業提携先を自分の力で引っ張ってくることができます。そうしてメドレーに集まってきた人たちもまた、スタートアップ界隈に知人がたくさんいて、人を紹介し合いながらビジネスを大きくさせていくことができるのです。

私はというと、元が小説家だったということもあり、そうしたスタートアップのコミュニティに知り合いがほとんどおらず、若干の疎外感を感じていました。

スタートアップビジネスは、起業家・投資家や、そこで働きたい人たち、あるいは事業会社などが織りなすエコシステムのなかで動いています。そのコミュニティの中にしっかり入り込んでから起業した方が、明らかに有利であると感じました。そう考えると、いきなり起業するのではなく、その前段階としてスタートアップコミュニティに深く関与する仕事として、スタートアップへの投資の仕事ができないかと考えました。投資家という立場であれば大勢の起業家や投資家に会えるし、スタートアップの知識を幅広く身につけられる。もちろん、自分自身に起業やスタートアップ勤務の経験があることもプラスに働きます。

転職を考えている時、リクルートホールディングスの新しいCVC立ち上げのメンバーになってみないかと誘っていただき、そちらに移籍することに決めました。リクルートには1年半ほど在籍しましたが、こちらも本当に充実した日々でした。

-- スタートアップから大企業に移ったら窮屈になりそうなものですが、何が一番楽しかったですか?

マネジメント上の実験のような意図もあったと思いますが、リクルートでの私の働き方は非常に特殊で、やるべき「ミッション」がありませんでした。リクルートでは有名なあの「Will Can Mustシート」の提出もなしで、「リクルートグループとの中長期的なシナジーを見込んだスタートアップ投資」という大まかな枠だけがあり、実態としてはほぼ何をやっても良いという感じで放り出されました(笑)。

そんなマネジメント方針からして本当に刺激的な部署だったのですが、仕事の振り方もぶっ飛んでいました。私の場合、入社初日に上司から任されたのが、SLUSH TOKYOのピッチコンテストの審査員でした。さあこれからスタートアップビジネスについて勉強しようと思っていたら、いきなりスタートアップを審査する側で登壇せよという。入社直後の土日ですよ?(笑)
もちろん私自身にはスタートアップにおける一定の経験があるので、審査せよと言われればある程度はできますが、それでもこの采配には驚きがありすぎました。

企画も実行も任せ切ってくれ、基本は放置で何も指示がない。あるのはやろうとしている仕事に対するフィードバックと適切な社内人脈の紹介などです。そうした恵まれた環境で一年半、たくさんの投資・M&A・事業提携の案件をやらせてもらいました。

-- どんなスタートアップに会いに行きましたか?

あらゆるステージの企業に会いましたが、数で言えばシードステージのところが多かったです。SLUSH TOKYOなどのイベントに出るだけでも100社以上の創業者と話すことになりますが、自分で調べ、社内の調査チームが洗い出したリストも見て、パスをたどり、あるいはお問い合わせフォームから連絡してとにかく積極的に起業家に会いに行きました。数百社、あるいは千社以上の企業の方に会ったかもしれません。

戦略テーマについて会社を探し、優先順位をつけて当たって行く。その中から絞り込んで、投資委員会に通して投資する。在籍期間を通じ、自分が主担当の投資先が4つ、サブ担当で3つ案件を手掛け、そのうち1社は先ごろ上場しました。CVCはリターンを出すことが目的ではないので投資先が上場したからどうということはありませんが、それでもお世話になったリクルートに一定のリターンをお返しできたと思いホッとしています。もちろんですが、そのようなリターンが出せたのは、投資先の企業のみなさんが素晴らしい経営と実行力を見せてくれたからに他なりません。

VCを経験されていた石井氏が、インキュベイトファンド・村田氏から出資を受け、起業しようと思った理由

-- このタイミングで弊社の志水と会いましたよね。どのようなきっかけでしたか?

様々な起業家に会っていくと、そのうちの多くが、「起業前に転職活動をしていた」と打ち明けてくれました。自分の市場価値を改めて確認することもでき、また、本当に自分は起業に向いているか考える時間にもなる。そんな諸先輩方にならい、自分も起業前に、「起業を選択肢に入れた転職活動」をはじめました。その流れで志水さんとお会いすることになったのですが、話し始めて数分、起業意志があるとわかった時点で、志水さんはインキュベイドファンドの村田さんを紹介してくれました。

-- その出会いをきっかけに、村田さんから投資を受けてGrafferを創業することになりますが、様々な投資家と会われたと思いますが、村田さんとやろうと思ったのはどうしてですか?

実は、もともと行政に対して課題意識をお持ちだったのは村田さんだったのです。私はそのときはコンテンツの販売プラットフォームを作ろうなどと思っていました。でも、お会いした時に、村田さんが行政に対する課題感を熱く語られているのを聞き、起業のテーマを変えました。

相性的な部分でいうと、村田さんはとにかく判断が早かったですね。「石井さんがやるなら僕はこのくらいの資金を出しますよ」と、あっけないほどの即決でした。

医学部→小説家→プログラマー→CVC→起業というキャリアで築いてきた石井氏の軸とは

-- 最後の質問です。今まで多種多様なことに挑戦されてきましたが、石井さんの中でこれだけは守ってきたっていう軸みたいなものはありますか?

私自身は「やると決めたらプロのクオリティでやり切る」ことを絶対外さないようにしています。

受験勉強でも、最初に東大医学部に合格すると決め、それに向けて準備・計画をやり抜いた結果、東大に現役合格しました。たまたま受かったのではなく、計画的に努力して達成したから、ノウハウが身についているわけです。だからこそ、東大合格後に受験勉強法の本を出版できたし、塾講師もできたわけです。

小説家なると決めたとき、当然、やるからにはプロを目指す必要があると考えました。プロになるためには文学賞を取らなくてはならないので、文学賞を攻略するために技を磨き、作品をつくった。実際、それをやりきってデビューしました。

プログラマーとしてウェブサービスを作ると決めたら、「土日にちょっと勉強してサービスをつくってみました」というのでは満足できません。それは自分のなかでは「やった」うちに入らない。ちゃんと自分で作ったものをリリースしし、お客さんが使い、何かしらの利便性や喜びを提供していなければ仕方がない。プロとしてお客さんに使ってもらう、そしてお客さんが増えていきサービスがスケールするところまでやる必要があります。

投資家として投資するのであれば、自分の投じた資金に対してリターンを出す必要がある。スタートアップ投資ではすべての案件で大成功はできませんが、たとえば10件投資したら1件は大当たりの案件を作り、ベンチャーキャピタルに求められる収益基準を超えなくてはなりません。

会社を作るなら成功まで持って行かないといけません。特にベンチャーキャピタルなどの職業的投資家から資金を得ているスタートアップはイクジットをしなければならず、どんな状況であれ、イクジットできるよう努力する義務があります。

自分が手がけるどんな仕事でも、なんとなくやる、適当にやるということは絶対にありません。この世にアマチュアの仕事というものは存在せず、仕事とはすべてプロによって行われるものに他なりません。ある事柄が私の仕事なのであれば、私はプロとして然るべき結果を出すべく努力します。たとえそれが自分の知らない領域であっても、学んでキャッチアップし、その上でプロのクオリティでやりきります。それが私の軸です。

・・・

EVANGE - Director : Kanta Hironaka / Creative Director : Munechika Ishibashi / Assistant Director : Yoshiki Baba / Assistant Writer : Ryosuke Ono / Photographer : Jin Hayato

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EVANGEは、ニューエリートをスタートアップへ誘うメディアです。スタートアップの第一線で活躍されている方々の人生に迫り、「働き方の軸」を明らかにしていきます。