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「考え抜いた先に後悔なき意思決定を。」READYFOR 執行役員CMO椿 遼氏は生きた足跡を残すために働き続ける

「想いの乗ったお金の流れを増やす」をミッションに、クラウドファンディングを中心に事業を展開するREADYFOR株式会社(以下、READYFOR)。同社の執行役員CMOとして活躍する椿 遼(Ryo Tsubaki)氏のキャリア形成、企業選択の軸に迫ります。

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“ニューエリートをスタートアップへ誘うメディア” EVANGEをご覧の皆さん、こんにちは。for Startups, Inc. の安松 花子(Hanako Yasumatsu)と申します。私たちが所属するfor Startups, Inc.では累計650名以上のCXO・経営幹部層のご支援を始めとして、多種多様なエリートをスタートアップへご支援した実績がございます。EVANGEは、私たちがご支援させていただき、スタートアップで大活躍されている方に取材し、仕事の根源(軸と呼びます)をインタビューによって明らかにしていくメディアです。

椿 遼(Ryo Tsubaki)
2010年に新卒で日本コカ・コーラに入社し、販促企画や新製品開発などを担当。その後、2015年にレッドブル・ジャパンに転職。ブランドマーケティング責任者として、中期的なブランド戦略から店頭プロモーションまでを幅広く統括。2018年にVisual Amplifiersに転職し、オーストラリアのデジタル広告代理店の日本法人立ち上げに従事。その後atama plusを経て2022年9月にREADYFORへ入社。現在は執行役員CMOとして同社のブランド、マーケティング戦略を経営メンバーの一角として推進。

マーケティングは手段の一つ

-- はじめに、READYFORの事業内容を教えてください。

READYFORは「想いの乗ったお金の流れを増やす」をミッションに掲げ、経済的リターンのみを考えた投資ではなく、社会に対するベネフィットの創出を思考し、想いの乗ったお金の出し手と受け手を繋ぐ事業を展開しています。

READYFORはクラウドファンディングの会社というイメージを持たれがちですが、クラウドファンディングはビジョン・ミッションを実現するためのいち手段にしか過ぎません。その他にも基金のマッチング事業や富裕層と団体のマッチングといった事業を並行して立ち上げています。

-- その中で椿さんが担われている役割も教えてください。

現在入社5ヶ月目ですが、最初のミッションは会社がクラウドファンディングの単一事業から発展していく中で、READYFORというブランドがどうあるべきかのブランド戦略作りから着手しました。その議論の中で、”社会課題の解決には数百億ではなく兆円単位の想いの乗ったお金の流れをつくる必要がある”という認識が経営メンバーの中で共通化され現在はブランド戦略に限らず、ビジョン、ミッション実現のために事業自体がどうあるべきかの経営戦略にも関わっています。狭義のマーケティングではなく、マーケティングを一つの手段として経営に関わっていると言えるかと思います。

-- まさに経営者の1人として参画されてるのですね。

そうですね。元々マーケティングはあくまでも手段の一つにしか過ぎないと思っていました。昔から、経営を通じて世の中に大きな価値を出していきたいと思っていたので、10年ちょっと経ち、ようやくそれが実現できています。

自分と向き合った浪人生活から得た成功体験

-- 現在に至るまで遡ってお話をお伺いします。幼少期、椿さんはどんなお子さんでしたか?

次男だったこともあり、おとなしくてしたたかだったと思います。兄が怒られているのを見て学ぶタイプでしたし、兄に限らず、人を観察することが多く、物事を俯瞰して捉えるのが得意になったのは、幼少期の環境が影響していると思います。

-- そんな椿さんが、学生時代に熱中していたことはなんでしたか?

父が現代美術家、母も兄も音楽好きといった家柄の影響を受けて、音楽にハマっていました。その中でも大好きなのはパンクやハードコアと言われるジャンルです。どちらもその根底にあるのは反骨心。既に決められていることに対するアンチテーゼが存在するところに惹かれました。自分のアイデンティティの一つとして大事にしており、今でもバンド活動は続けています。

-- 音楽活動に邁進し、順風満帆の学生時代だったのですね。

音楽は十分に楽しめましたが、大学受験では納得のいく結果が出ず浪人の道を選択しました。合格していた大学もあったのですが、受験勉強をやり切った感覚が持てず、そのまま進学することに違和感がありました。しかし、浪人したおかげでよかったこともあります。学生という肩書きから離れ、無職状態を経験する中で、自分が生きることにどれだけのお金がかかっているかを身をもって感じました。そんな選択を受け入れてくれた両親へはとても感謝しましたし、進路を考える中で「自分がこれから何をやりたいか」と、自分としっかり向き合う機会にもなりました。最終的には1年間の浪人生活で死ぬほど勉強して、自分の満足のいく結果が出せたことが成功体験となりましたね。

飲料業界で歩むマーケターとしてのファーストキャリア

-- 大学、大学院を経て、新卒で日本コカ・コーラ株式会社(以下、日本コカ・コーラ)に入社されていますが、当時はどういった経緯で意思決定されたのでしょうか?

大学院に進んだことで、同世代に比べて実務経験が2年間ビハインドしている感覚があり、圧倒的に働くことで成長できる環境を求めていました。一方で、日本企業のようなローテーション人事の場合、入社してすぐにマーケティング業務に携われるか分からなかったため、不確実性を排除するために外資の専門職を選びました。

-- 実際に入社してみていかがでしたか?

ビジネスパーソンとしての基礎を身につけることができ、振り返ってみても最高の会社に入社できたと思っています。即戦力としてどんどん仕事を振っていただき、共に働く同僚・先輩も含めてとても理想的な環境でした。

-- 理想通りの環境があったにも関わらず、5年後、転職を検討し始めたきっかけは何だったのでしょうか?

このまま自分が今の環境に居続けることに危機感を覚えたことです。日本コカ・コーラでは最終的にブランドマネージャーの仕事を担当させていただき、4〜5年でビジネスの全体感を掴むことができました。一方で周りを見渡すと、6〜7年上の先輩も同じ役割を担っていたことに気付いたのです。

日本コカ・コーラのような大企業では、物事を円滑に進めるための調整力は磨けるし、新しい施策を実行する際には手伝ってくれるチームや代理店がたくさんいます。これは大企業ならではの良い点ですが、翻ってマーケティングの仕事がかなり分断されているということでもあります。つまり、ブランドマネージャーとして自分が予算を持っていたとしても、各専門チームに指示は出せる一方で、彼らの専門領域のことは分からないという状態に陥ることになり「これでは成長できる幅に限界がくる、まずい」と思いました。

-- その中で転職先としてレッドブル・ジャパン株式会社(以下、レッドブル)を選んだ理由を教えてください。

飲料というドメインの中で、自分のできる能力を伸ばせる環境を軸に転職先を検討しました。特に、ブランドマネージャーのように上流部分だけではなく、テレビやデジタルのメディアバイイング、店頭プロモーションなど、howの部分まで管掌範囲を広げられる環境を探しました。企業規模がある程度小さければ、全てのマーケティング施策に関われるのではと思っていた中で、レッドブルを見つけたのです。

ブランドに対するこだわりもあった中で、レッドブルはブランドが立っているだけではなく、私が大好きな音楽領域のアーティストマーケティングも活発だったこともあり、とても魅力的に映りました。

成長を続けられた理由はアンラーニングし続けたから

-- マーケターとしての能力を広げたいという強い目的を持って入社されたレッドブルだったと思いますが、実際に入社してみていかがでしたか?

ブランドマネージャーという役割で入社したのですが、入社1年弱で組織体制の変更があり、急遽ブランドマーケティング全体を統括することになりました。自分の仕事を持ちながらピープルマネジメントを経験したことで成長曲線が急激に上がりましたね。

-- 急な立場の変更で戸惑いなどはなかったのでしょうか?

昔から、自分に対して負けん気が強く、逆境に追い込まれたら奮い立つタイプなので、ドンとこいという感じでした(笑)。もちろん、最初は苦労した部分も多くありましたが、昔、私に教えてくれた尊敬する人の話を思い出しながら、自分なりに試行錯誤して乗り越えていきました。

-- 過去の経験をお手本にされたんですね。

はい。次男として生まれ、昔からラーニングする能力が高い方だったというお話をしましたが、それに加えて、ターニングポイントで良い上司との出会いにも恵まれていたと思います。自分の軸は残しつつも、上司の良いと思った部分をどんどん取り込みながら自分の価値観を作ってきたので、その経験が急な立場変更にも活かされ、結果的には非常に成長する機会になりました。

-- 大人になればなるほど経験や役職が積み重なって、アンラーニング(学習棄却)が難しくなる人が多いと思うのですが、椿さんには抵抗はないのでしょうか?

全くないですね。最近よく聞く言葉に「メタ認知」がありますが、メタ認知も1種のアンラーニングだと思っています。

そして、マーケターはアンラーニングが得意な人が多いのが特徴ではないでしょうか。というのも、マーケティングは基本的に自分ではない誰かの心理を捉えて行動を科学するものなので、 「客観的に見る」「違う目線で考える」「自分じゃない人を自分と置き換えて、何を思うだろうか」などを深く考える必要があります。そのようなメタ認知的思考が備わってる人種がマーケターなのです。逆にそれができないと、自分に近い属性しかマーケティングができないことになってしまい、マーケターとしては不十分ですよね。マーケターにとってアンラーニングは欠かせないスタンスだと思います。

ブランドの強さに気づいたからこそ生まれた決意

-- レッドブルを離れる決断をした背景を教えてください。転職先にVisual Amplifiers Japanを選ばれた理由は何だったのでしょうか?

9年弱の間、飲料業界に従事したことで成長が鈍化している感覚があったのが転職を決めた理由でした。飲料業界の主要ブランドでは働けたので、次は飲料業界以外を検討しようと考えていた中、エージェント経由で紹介されたのがVisual Amplifiers Japan株式会社でした。カントリーマネージャーとして、オーストラリアの代理店の日本オフィスの立ち上げというミッションだったのですが、今までにない経験を積みに行くチャンスだと思い、転職を決めました。

また、クライアント側と代理店側で見える景色や言語が違うと感じていたので、代理店側というこれまでなかった視点を身に着ける良い機会として、面白いだろうとも思いました。代理店側は本質的には自分には合わないとわかっていましたが、とにかくやってみようと思って飛び込みましたね。

-- 入社してみていかがでしたか?

100%ポジティブで良い経験でした。オフィスの登記や、銀行口座作りなど本当にゼロから立ち上げ、インフルエンサーを呼び込むためにInstagram経由で一人ずつDMを送ったり、クライアントの商品を郵便局に行って郵送したりと。事務的なところから、営業としてクライアントに企画のプレゼンをすることまで、とにかくなんでもやりました。

-- その中で何か印象的な出来事はありましたか?

大きいブランドを初めて背負わなくなったことで、いろんなものが見えるようになりました。これまでブランドの名前を借りて仕事をしているつもりはなかったのですが、ブランドの肩書きがなくなったことで周囲の私への接し方が180度変わり、中には話を聞いてくれない人もいたのは衝撃的でした。

その中で1番印象的だったことは、知人の紹介でとある外資系フードチェーンに営業にいった時のことです。その会社の担当者として入ってきた方が、私が日本コカ・コーラで働いていた時に代理店側で働いていた方だったのです。つまり、クライアント側と代理店側で立場が逆転しての再会となりました。

当時、話を聞いてくれない人がいた中で、その担当者さんがなぜ私の話を聞いてくれたのか尋ねると「日本コカ・コーラ時代にすごく丁寧に対応していただいたので、椿さんであれば話を聞いてみようと思いました」と言ってくださったのです。その話を聞いた時に、「ちゃんと生きていてよかった」と強く感じました。この先も襟を正して生きていこうと、心の底から思った出来事でした。

社会に対する貢献度を重視して再転職

-- 次のキャリアではatama plus株式会社(以下、atama plus)を選ばれましたが、これまでとは毛色の違う意思決定のようにお見受けします。どういった理由があったのでしょうか?

代理店の仕事は、クライアントのマーケティング課題に対して、短期間で部分的に関与するため、浅い関わりしか持つことができません。本質的にクライアントのビジネス課題に関わることができない歯痒さから転職を考えるようになりました。

-- そこからどのようにatama plusに繋がっていったのですか?

良し悪しの話ではありませんが、飲料業界から離れて感じたこととして、消費財は突き詰めると「別の商品で代替できるもの」という要素がありました。

簡単に代替できずかつ社会を良くするためには、「本当になくてはならないもの」あるいは「そうなる可能性が高い会社」で働きたいと思ったのです。また、当時はスタートアップとの関わりも増えたことで、スタートアップの解像度が上がっていたタイミングでもあったので、スタートアップで社会課題解決のために働く会社を探そうと思った時に、atama plusに出会いました。

-- 一口に社会課題と言っても様々かと思いますが、なぜ教育業界だったのでしょうか?

転職先を探す際にこだわっていたのは、業界ではなく「社会に対する貢献度の大きさ」でした。私が社会に対して出せるバリューは「会社が取り組んでること×その中での自分の貢献度」と思っていたので、多少違うテーマであっても、マーケターが必要とされている会社であれば、結果的に社会に対する貢献度は大きくなると思いました。 その中で声をかけていただいたのがatama plusでした。私自身、受験に一度失敗した経験があったので、教育は自分事として捉えやすかった側面もあります。

3つの仕事の軸がREADYFORとマッチするまで

-- その2年後に、READYFORへ転職することになりますが、当時フォースタートアップスと接点を持とうと思った経緯について教えてください。

もともとフォースタートアップスの社名は知っており、スタートアップの話を聞くならここだと思っていました。実際にフォースタートアップスは案件先行ではなく、転職軸をヒアリングして、私自身の思考を整理した上で提案してくださいました。しっかり人に向き合う意思を感じましたね。

-- 担当した仁木からは初回の面談の中でREADYFORを提案したものの、一度お断りされたと聞いています。当時はなぜREADYFORに興味を持てなかったのでしょうか?

転職軸として大事にしていた「社会になくてはならないものになる可能性」を考えた時、クラウドファンディングが社会課題を解決する文脈と自分の中ではうまく繋がらなかったからです。クラウドファンディングに関しても特に興味はなく、会社も知らなかったので、「よくわからない」という理由でお断りしました。

-- そんな中、再度弊社からもご提案をさせていただき、最終的にはCOO樋浦さんからの熱烈なリクエストがあって、初回の面談が実現したのですね。

はい。話を聞いてみないと分からないこともあると思った点と、樋浦が私の経歴を見て「話したい」と言っていると聞いたので、一度お話ししてみることにしました。といっても、私の方は「会いたいっていうんだったら一回お話しますか」程度のとても冷たいスタンスでしたね(笑)。

-- 樋浦さんとの面談から、READYFORの印象がどのように変わっていったのですか?

最初のイメージは、クラウドファンディングをやる会社だったのですが、「想いの乗ったお金の出し手と受け手を繋ぐための手段としてクラウドファンデングがある」と知ることができ、実際に実現しようとしているスケールの大きさを理解してからは、面白いと思うようになりました。

さらに、樋浦とCEOの米良の2人のスタンスがものすごく包摂的だったことも印象に残りました。面接でも「実は事業でこういう課題があって……」と言われ、「こういう観点から考えたらいいんじゃないですか?」とこちらも提案するかたちで会話が進み、見極められているという感覚が全くなかったのです。やりとりを通して、2人が本気で課題に向き合っていること、そして経営レベルで取り組めるスペシャリストを求めているという強い思いを知ることができました。

-- まるで経営会議での一幕のようですね。最終的にREADYFORに意思決定した決め手は何でしたか?

この頃には意思決定の軸も明確になっていました。私が仕事を選ぶ上で大事にしてきたことは3つあります。

1つ目は仕事を通じて社会にポジティブに影響を与えられること。人生の大部分を仕事に使うのであれば、その仕事は社会にプラスになることをしたいと思っています。2つ目は、その会社の中で自分が活躍できるアサイメントがされること。そして3つ目が、その仕事を通じて、自分が成長できることです。

READYFORにはこれら全てが揃っていました。資本主義では流れない想いの乗ったお金の流れを増やすことで、社会課題を解決することができ、マーケティングという専門性を持って経営レベルから事業課題に取り組み、それを米良や樋浦と一緒に進めていくことができる。誰と働くかも大事だったので、2人と違和感なく話しができ、相性を確かめることができたことも決め手になりました。

意思決定で重要なのは考え抜くこと

-- 椿さんは転職していく中で意思決定の軸が明確になっていったかと思いますが、まだまだ軸を模索しているニューエリートはたくさんいると思います。そんな方々にメッセージをいただけますか?

前提として、人生の中で仕事をどう位置付けるかという話があると思います。その上でやりたいことを明確にすることをおすすめします。仕事選びにおいて、自分は何が譲れないのかを考え続けてみると良いのではないでしょうか。

私には、先程お伝えしたような3つの基準がおぼろげにずっとありました。そして仕事を通じて、自分がどういう価値を取りに行くかの言語化を繰り返すことで、徐々に基準が明確になっていきました。常に自分の基準が何なのかを突き詰めることを怠らないことが大切です。

一方で、行きたい会社が明確になっても、自分のケイパビリティが合ってないと意味がないので、自分の専門性やスキルを磨き続けることも必要です。自分の好きな仕事あるいはやりたい仕事と、できる能力が合致することが理想形。そこが合うように磨いていくと、自ずと楽しくやりがいがある仕事に行きつくと思います。

-- 今の椿さんが「仕事」を言語化するとしたらどう表現されますか?

私にとっては、「自分が生きてきた足跡を社会に残すための器」が仕事だと思っています。マーケティングという能力を軸に、どのように社会と関わって、自分の生きた足跡を残していくかを模索しているのが私の生き方です。

-- その挑戦を続けられるモチベーションの源泉は何でしょうか?

仕事を通じて、誰かと何かを作った時や何かを世の中に残すことができた時の爽快感と達成感でしょうか。これらは楽に手に入るものではありませんが、何ものにも代え難いものだと思っています。

幸いにも私は非常にポジティブな人間だったので、たくさん努力して結果が出なかった時は、割り切って次の挑戦に進めるタイプ。だからこそ挑戦を続けることができています。

-- うまくいかないことがあってもポジティブに捉えていい、と。

私はそう思っています。補足すると、最終的には結果よりも、その時々でちゃんと考え抜いたかどうかが大切。1番後悔するのは、中途半端に考えて取り組んだ後に、「もっとああしとけばよかった」に陥ることです。その後悔をできる限りなくすためには、選択のために考え抜くこと。自分が納得できるまで考え抜いた選択であれば、うまくいかなくてもいいと思うのです。

私の生き方が必ずしも参考になるとは思っていませんが、1つのケースとして、これからのキャリアを考える参考に少しでもなれば嬉しいです。

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椿さんをご支援したヒューマンキャピタリスト

仁木 紫援(Shion Niki)
フォースタートアップス株式会社 シニアヒューマンキャピタリスト
兵庫県立大学を卒業後、人事職として中規模ベンチャー企業に入社。並行して新規事業開発も担当。その後、当時15名程度のシリーズAのSaaS企業に入社。社内唯一の企画専任職(セールスイネーブルメント)として、売上の最大化および成果の再現性向上と、新規事業開発を兼務。スタートアップエコシステムの成長の必要性を感じ、2020年3月にフォースタートアップスへの入社を決意。現在はシニアヒューマンキャピタリストとして、シード期からプレIPO期までのスタートアップへの採用支援を担当。

<インタビュー>
入社9ヶ月でスタートアップへの支援実績No.1の大活躍!信念は、未来を語りながら、ひたむきに今やるべきことをやること
https://www.forstartups.com/news/niki-shion

Linkedin : Shion Niki

EVANGE - Director : Hanako Yasumatsu / Creative Director : Munechika Ishibashi / Assistant Director : Makiha Orii / Writer : Karen / Editor:Hanako Yasumatsu / Photographer : Shihoko Nakaoka

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