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「どういう世の中を作りたいか」、IMJ、GREEを経てヤプリCMOに就任した山本崇博氏からの問い

今世間で注目を集めている「DX」。アプリ開発・運用・分析をノーコードで提供するアプリプラットフォーム「Yappli」を提供することでDXを推進しているヤプリ。IMJ、GREEなどIT・マーケティングの一時代を築いた会社を経験した上でヤプリへ参画した山本崇博(Takahiro Yamamoto)氏のキャリア形成、意思決定の軸に迫ります。

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“ニューエリートをスタートアップへ誘うメディア” EVANGEをご覧の皆さん、こんにちは。for Startups, Inc.のEVANGE運営チームです。

私達が所属するfor Startups, Inc.では累計170名以上のCXO・経営幹部層のご支援を始めとして、多種多様なエリートをスタートアップへご支援した実績がございます。

EVANGEは、私達がご支援させていただき、スタートアップで大活躍されている方に取材し、仕事の根源(軸と呼びます)をインタビューによって明らかにしていくメディアです。

山本 崇博(Takahiro Yamamoto)
2005年株式会社アイ・エム・ジェイ入社。データ分析・最適化のコンサルティングを担うMarketing & Technology Labs(MTL)の立ち上げより、マーケティングコンサルタントとしてROI最大化支援に従事。2007年企業派遣としてデジタルハリウッド大学大学院に通学し、デジタルコンテンツマネジメント(DCM)修士号を取得。その後、外資系広告代理店や事業会社を経て、2012年より再びIMJに入社し、通信、放送、流通、教育、金融など多業種に渡るクライアントのデジタルマーケティングを支援。2019年に株式会社ヤプリにCMO(Chief Marketing Officer)として入社。これまでのマーケティングコンサルタントとしての知見や、広告代理店や事業会社での経験、さらに他業種に渡るクライアントのデジタルマーケティング支援の実績を生かし、「Yappli(ヤプリ)」のマーケティング強化にとどまらず、幅広い業界におけるアプリの可能性を広げている。

顧客の声を経営に活かす存在としてのCMO

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 -- 山本さん、本日はよろしくお願いします。まずヤプリの事業と、CMOとしての役割を教えていただけますか。

ヤプリは2013年に創業した会社でございまして、アプリの開発・運用・分析をノーコード、つまりプログラミング不要で出来るアプリプラットフォームを展開している会社です。

CMOとしての役割ですが、ひとつがマーケティング本部全体を見ています。マーケティング本部にはPRや、イベントをはじめとしたオフラインマーケチームやマス広告チーム、そしてデジタル広告チームが所属しています。他社と比較して特徴的なのが、インサイドセールスもマーケティング本部で見ていることです。マーケティングはリード獲得だけが出来れば良いのではなく、商談や受注に繋がるプロセスを重要視しているため、このような組織体制にしています。

もうひとつが、いわゆるCFOがファイナンスという視点で全社を最適化するように、CTOがテクノロジーという視点で全社を最適化するように、マーケティング、つまり顧客の声を元に全社を最適化していくことです。経営戦略に顧客の声やトレンドを入れながら、会社をアップデートしていく必要があると思っています。

機能軸でのマーケティングを見ていく縦の役割と、経営として全社を横断して見る横の役割の二つを担っています。

-- ありがとうございます。山本さんは一貫してマーケティングの経験を積まれていますよね。新卒でアイ・エム・ジェイ(以下、IMJ)に入社されていますが、当時どのようなことを考えていたのですか?

時代背景からお伝えすると、IMJに入社したのは2005年で、mixiが徐々に普及しはじめた頃です。まだ今のようには、SNSが発展していなかった時期ですね。

大学時代は演劇や映画を創ってました。学部は遺伝子系でしたが、演劇しかやっていなかったですね(笑)。 そんな学生時代を過ごしていたので、エンターテインメントの仕事をしたいと思っていました。

-- 演劇はどんなキッカケで好きになったのですか?

母親が昔から演劇をやっていたんですよ。小さな頃の自分の遊び場が演劇に使う大道具が置いてある場所で、演劇をしている人たちに囲まれて育ちました。常に身近に演劇やエンターテインメントがあったんですよね。

一方で大学では、エンタメ・演劇に出演するよりも、資金を集めて、劇場を押さえ、どれくらいの制作費だったら回収できるかを考え、プロデューサーとして支えていました。演劇自体が好きだったんですけど、計算する方が得意だったんですよね。

余談ですが、当時は、たしかブロードウェイで公演している演劇の数よりも、日本の小劇場を含めた公演数のほうが多かったと記憶してます。意外に知られていないんですよね。

その当時に、東京でのブロードウェイ構想を知り、「演劇を日本の中で今以上に根付かせたい」と思うようになりました。そして、今以上に流行らせるためには物理的な距離を超える必要があると思い、インターネット上で配信したり、映画館で配信できたりすると面白いんじゃないかなって妄想を膨らませていました。今振り返ってみると、結構実現しているんですよね。

そんな軸で就職活動をしていたので、当時「黄泉がえり」や「NANA」、「のぼうの城」など有名な映画を一番制作をしていたIMJに入社しました。コンテンツを持っていて、Web事業もやっていたのでインターネットにも強く、エンターテインメントにもつよい。当時関心のあったエンタメとIT領域でチャレンジしたいと思い入社を決めました。

大局で物事を捉える

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-- 素敵なストーリーですね。入社してみてイメージ通りでしたか。

エンターテインメントをやろうと思ってIMJに入社したのですが、配属先はweb制作の事業部でした(笑)。

初めは新しい言葉も多く、戸惑ったんですけど、インターネット事業に携われるのは面白い挑戦ができそうだと感じました。今でこそ当たり前のようにアクセス解析ツールでPVやUUを見ていますが、当時はサーバーのログからデータを持ってきて組み合わせないと確認出来ない時代だったので、PVを出すにも数時間かかっていたんですよね。

新卒2年目の時に一つ転機がありました。新規サービス立ち上げのチームメンバーに、加藤圭介さん(現アクセンチュア株式会社/マネジング・ディレクター・株式会社アイ・エム・ジェイ/取締役)から声がけいただいたんです。海外ではサーバーログ型ではなく、ビーコン型のアクセス解析ツールが伸びていたので、日本でマーケティングプラットフォームを広める仕事をしないかと言われたんですけど、正直当時は、まったくピンときませんでした(笑)。

-- ぜんぜんやりたいことが違いますもんね

その当時はすぐに興味を持てなかったのですが、大局にモノを見る加藤さんにはとても惹かれましたね。私は「演劇を日本のなかでどう発展させていくのか、そのハードルになるものは何か」と考えてきたから、加藤さんが「これからのデジタルマーケティング市場がどうなるのか、データがどのような価値を持っていくのか」など、市場の未来から語るお話が非常に面白かったので一緒にやりたいと自然に思うようになりました。

ただ、その新規事業も、社内に聞くと10人中8人が「失敗するよ」「売れるわけないじゃん」と言うわけですよ。それでも私は、否定される新規事業はむしろ上手くいくなと思っていました。当時はベンチャーキャピタルやスタートアップ投資が当たり前の時代ではなかったので、会社の中で新しい事業を起こしていく経験を積めたのはよかったです。 

撤退の意思決定がされないように必死に売り上げを立てながら、4、5人で始めたチームが少しずつ大きくなっていき、会社の中核事業の1つになるまでに成長しました。 

-- そこから、次に転職されたのはどういったキッカケになるのでしょうか

IMJはサイトの制作をはじめ、マーケティングソリューションや裏側のデータを扱ったビジネスをいち早く手掛けた会社でした。そのため、いわゆるCRM領域の中では最先端の経験を積んでいましたが、マーケティング全体で見るとマスマーケティングを含めた広告やPRを経験しないとなと思い、広告代理店、そして事業会社へと転職しました。

GREEで学んだ「マーケティングの考え方」と「社会との対話」

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GREEではプロモーション室へ配属され、宣伝広告を中心としたマーケティングに携わりました。当時GREEは、プラットフォーム“GREE”のCMが中心で、ビジネスモデル上、無料のユーザーが多く、マス広告はあまり費用対効果があわない施策でした。

そこで、“ドリランド”などの売上を上げているプロダクトに集中して、マス広告を打ちながら売上を回収出来るモデルを作り実行していきました。

当時の上長は、広告手法はもちろん、戦略家であり、事業戦略や、マーケティング投資回収モデル等も非常に長けた方でした。広告の中でも「クリエイティブに強い」「数字に強い」など、様々なタイプのマーケターがいると思いますが、この上司に出会えたからこそ、「数字」を武器にしたマーケターとしての土壌ができたのだと思います。

-- GREEが絶頂になる少し前のタイミングで参画されていますよね。

そうですね。2011年なので、絶頂になるちょっと前ぐらいですね。“ドリランド”が爆発的に当たって、どんどん売上も上がり株価も高騰、グローバル進出もしましたが、ソーシャルゲームの様々な問題も同時に経験しました。"この当時、ベンチャー企業という新しいビジネスをする企業が、社会と対話する事の重要性を強く感じました。新しい産業は勢いはあるけれども、どうしても「成長」に目が行きがちになります。社会とのコミュニケーションを忘れてはいけない。マーケティングを推進する中で、このバランスの難しさを当時肌で感じました。

一方で、マーケティングが上手く機能して、売上げがどんどん上がって行くことは面白かったですね。

B to Bだと最後は営業がクロージングするので、マーケティングだけでスケールすることは難しいと思いますが、B to Cのビジネスは、広告効果もB to Bに比べて顕著に出るのでシンプルに楽しかったですね。

-- 確かに、気持ちよさそうですね!

途中からグローバル進出をすることになりました。通常のマーケティングだったら現地で施策を行うんですけど、インターネットの面白いところは日本でグローバルの施策が打てるところですね。日本で出稿計画をたててGoogleに登録をして、「朝起きたら何万ダウンロードありました」だとか。グローバルのビジネスはこういうカタチで伸びることができるかもなとか、海外に行かなくてもグローバルでの施策が打てる経験は楽しかったですね。

-- マーケッターは伸びていて予算がある会社で勝負するのがいいと思っていて、GREEではどんどん新しいことができたのではないでしょうか。

そう思いますね。私がGREEに入ったタイミングというのは、まさにスケールさせるフェーズだったと思います。

ムダなコストを削減して効率化しながら、スケールさせるためにはどういった新しい仕掛けをする必要があるのかの二軸が必要になります。その時に新しい仕掛けから入ってしまうとコストが積み上がるだけなので、いかにコスト効率を良くしながら新しいコストを捻出していくかも、重要なことだと思います。

GREEは数字を強く意識する会社だったので、とにかく数字を見て判断する。 テレビCMなど認知目的の施策だと、効果測定が緩く終わることが往々にしてあると思うんですが、投資回収のためにモニタリング指標を作っておくことがすごく重要です。1度で成功しなくても、しっかりした計測ができていれば、絶対に成功させる目を見つけられる。今ヤプリでも大型プロモーションを実施していますが、効果測定は重要視しています。

恩師から頂いたIMJでの挑戦の機会

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-- GREEから次がIMJに戻られたのはどういった背景があったのでしょうか?

そうですね、戻りました。私を新卒2年目で引き上げてくれた加藤さんから呼び戻されたのが理由です。カフェに呼ばれて、「いつにする?」と言われて(笑)。

加藤さんから広告のオーディットサービスを作っていきたいと話をいただきました。IMJもよくわかっていて、CRMの観点もあって、広告も経験しているというのがよかったのだと思います。

そこからは、オーディットサービスを作ったり、いまでは当たり前になってるカスタマーサクセスの部隊を作って、売上だけではなくてお客様と寄り添いながら、お客様のビジネスをスケールすることにミッションを持って事業を進めていきました。

順調に売上も上がって、部隊も増えていきました。事業変革や今で言う「DX」の言葉がで始めた頃で、市場からはデジタルを用いて社会を変革していく企業が求められてきたタイミングでした。制作だけでもないし、テクノロジーだけでもないし、今ないカタチのコンサルティングに挑戦しなければならないフェーズでした。デジタルの領域に、広告会社やコンサル会社が入ってっくる群雄割拠の時代の中で、IMJは、世界最大のコンサルティング会社であるアクセンチュアグループに参画しました。

何者かになるのではなく、どういう世の中を作りたいか

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-- 経歴をお伺いして思ったんですが、新しいものに携わることがひとつ軸としてありますね

そうですね。新しくて人がやっていないことをやりたいです。みんながやっているものは、昔から興味がわかなかった。

昔から、「これ、他社がやっているからやったほうがいいんじゃない?」と言われた瞬間にやる気がなくなるんです。トレンドなら、他の人にやってもらえばいいと思ってしまう。面倒くさいんです。性分なんでしょうね。

-- 新しいモノとか、人がやっていないコトってどうやって見つけていくんでしょうか

まず、大局観でモノを見ることを心がけています。私も最初からそう思っていたわけではなく、この年齢になりようやく言語化できるようになりました。

演劇だけが好きだったら、演劇を作るまでで終わってたと思うんですけど、学生の時から国や自治体をはじめとしたロードマップにアンテナを立てたり、業界セミナーに行ったりして、世の中が10年後、20年後どうなるのかから自分のキャリアを考えてましたね。

-- CMOというキャリアも以前から考えられていたんですか?

「CMOになりたい人にメッセージを」とよく聞かれますが、自分がCMOになりたいと思ったことが一度もないんですよね。何者かになりたいと思ったことはあまりないです。どういう世の中を作りたいかは考えますが、大物になりたいとか、何者かになりたいとは思ったことがない。結果として、今CMOという職務をいただいているので、一生懸命に仕事をしていますが、常に考えるのは、どんな世界を作りたいのか、作るお手伝いができるのかです。

最近はニュースをみていても思うのですが、何者かになりたいみたいな人が多いような気がしています。

-- 確かに、多くの方がそう考えられているかもしれません。

自分の実力より大きく見せることに時間を割いてしまうと、結局何者にもなれなくなる可能性があります。だから、常にホンモノかどうかを問いかけ、実力をつけることにフォーカスする。そして、どういう世の中を作っていきたいかを常に大事にしています。

-- 経験をお伺いする中で、山本さんの先見の明がある事は大前提として、それぞれの環境で素晴らしい上司の方とお仕事をされていらっしゃいますよね。

見つけてくれているっていうのは本当にありがたくて。いろんな人と仲良くなれるタイプかというと、そういうタイプではないんですよね。自分に合うと思ってくれる人とはおのずと会話数は増えるし、「仕事一緒にやろうよ」となってくれる割合も高いので、自分のなかで「こういう感じ」という哲学があるんでしょうね。それは積極的に発信しているわけじゃないんですけど、会話を通して話していくと、面白いねって思ってくれた人とは一緒に仕事をすることが多いです。

ヤプリの庵原保文さんと初めて会ったときも、事業をどのように作ってきたのかなど哲学的なことを話しました。庵原さんは時代の感覚を捉えるのが上手いと思っていて、大局でモノを見たり、時代時代にあった空気感をすごい感じ取っていらっしゃいました。私は数字で考えるほうなんですけど、彼はいいバランスで、数字だったりクリエイティブの感覚を持たれている方だなと思いました。そのあたりは会話していて学びも多くて、私も一緒に働きたいなと思った理由は庵原さんの考え方でした。考え方に惹かれた人と一緒に働いている感じですね。

-- 弊社のヒューマンキャピタリストの六丸直樹から庵原さんをご紹介させていただきましたがご印象はどうでしたか?

私は転職活動もあまりしていなかったのですが、六丸さんから是非会って欲しいと紹介されてヤプリと知り合ったことがすべてです。

ヤプリに入ってからの六丸さん含めたフォースタートアップスさんの印象でいうと、ベンチャーの情報が豊富。非常に強い情報網を持っていらっしゃるし、知識もあります。ヤプリのこともそうですがスタートアップのことを良く知って頂いているなという印象があります。

信頼感というのは六丸さん含めて持っていますかね。

誰と一緒に世の中を渡っていくのか

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-- 様々な選択肢がある中で、どういった判断軸を持って企業の評価をされていたのでしょうか?

社会をどういう風にしていきたいかとか、その社会のなかでどういう役割ができるかと大局で見るのを重要視しているのと、自分のポジションや役割というよりかは、誰と働くのか、今でいったら庵原さんやボードメンバーにどれくらい私がシンパシーを感じているのかを重要視しています。

だから転職の際に、売り上げ規模がどれくらいだとか、スタートアップとしてどの位置につけているのかは正直気にならなかったです。信頼できる人と仕事していれば、きっと結果はついてくる。あとは登り方を一緒に考えていけばいいですね。

-- いまこのタイミングでは山本さんが大局をどのように捉えていらっしゃるのか是非お伺いしたいです。

デジタルの変革は、より一層加速していきます。昔は紙からwebサイトにするところから始まり、データ活用が進むことで、デジタルとリアルの融合が進んできました。今では、IoTやAIをなどのテクノロジーを活用しながら、社会や自分たちの生活をどうアップデートしていくのかを各業界が考えています。

一方で、生活ってどうあるべきなのかとか、人はどうしたら幸せなのかっていう議論もさらに加速していく気はするので、生きるってなんなのかってところや、モノの価値も徐々に変わっていくだろうと思います。

アプリの使われ方も様々になってきます。私たちは用途開発と言っていますが、時代が変化する中で、常に新しい用途を提案していく事も求められていると思っています。

-- 転職のタイミングで、自分の考える世界観を実現するために別の選択肢があったと思うのですが、ヤプリを選んだのはどうしてですか

37歳の時に母親を、38歳の時には父親を、末期がんで亡くしました。父親は、飲食店をやっていたのですが、最後は食事も口からは通らず、厨房に立つことなどはできませんでした。ただ、病床で最後までレシピを書いていたんですよね。

仕事ってなんなんだろうなと。40歳を目の前にして、仕事や生き方について考えるきっかけとなりました。、最後に両親から、仕事の価値観をより大局的に見る機会をもらったんですよね。そして、自分の知識を使いながら、より多くの企業が助かるサービスをしていきたいと自然と思うようになってきたんです。そんな時に、ヤプリと出会いました。

スタートアップで必要なのは、カオスを楽しむ力

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-- ありがとうございます。最後に、どんな人と一緒に働きたいかお伺いできればと思います。

まず一個は、自分にベクトルが向いていない方だと思います。どういう世の中を作っていきたいとか、世の中がどうなるかとか、世の中を良くするためにどんな社会課題を解決するのが良いかを考えている人には合うと思っています。

もう一個はチャレンジ精神が旺盛な方ですね。大企業のように役割が明確に決まっていないというのと、来年規模が変わっていると役割も変わっていったりするので、ジョブディスプリクションを明確にするのは難しいと思っています。変化する状況に対して拒否感なく、楽しんでいける人がとても向いていると思います。

そのなかで、自分の哲学を作ることがキャリア上重要かなと思っています。
ヤプリはそういったチャンスがいっぱいあります。あと「人が良い」とみんな言いますね。人が良くて成長している会社は、仕事は妥協せずしっかりやり、協力もし合う。いいカタチの尊重を持った会社です。裁量権のある会社なので、現場にいてもかなりチャレンジができる環境だと思います。

あとは、コミュニケーション力がある人が、色々な人を巻き込み新しい仕事を生み出していると思います。結果としてそういう人には新しい仕事がどんどん来ると思います。

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EVANGE - Director : Kanta Hironaka / Creative Director : Munechika Ishibashi / Assistant Director : Yoshiki Baba / Assistant Writer :Ryohei Watanabe, Yuto Okiyama / PR : Hitomi Tomoyuki / Photographer : Jin Hayato

Produced by for Startups, Inc.


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