「空のスマートカーナビで、地球全体の脱炭素に貢献する」NABLA Mobility 田中辰治CEOが見つけた原体験と社会課題の交差点
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「空のスマートカーナビで、地球全体の脱炭素に貢献する」NABLA Mobility 田中辰治CEOが見つけた原体験と社会課題の交差点

航空機業界の効率改善、地球全体の脱炭素に貢献するソリューションを、AIやデータを活用して提供する会社として2021年4月に設立されたNABLA Mobility。その代表を務める田中 辰治(Tanaka Shinji)氏。東京大学工学部卒業後、マサチューセッツ工科大学で修士号を取得。IHIでキャリアをスタートさせ、ボストンコンサルティンググループでの経営コンサルタントを経て、今回NABLA Mobilityを創業された背景と今後のビジョン、これまでのキャリア形成及び意思決定の軸に迫ります。

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"ニューエリートをスタートアップへ誘うメディア" EVANGEをご覧の皆さん、こんにちは。for Startups, Inc. ヒューマンキャピタリストの弘中寛太(Kanta Hironaka)と申します。

私たちが所属するfor Startups, Inc.では累計170名以上のCXO・経営幹部層のご支援を始めとして、多種多様なエリートをスタートアップへご支援した実績がございます。

EVANGEは、私たちがご支援させていただき、スタートアップで大活躍されている方に取材し、仕事の根源(軸と呼びます)をインタビューによって明らかにしていくメディアです。

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田中 辰治(Tanaka Shinji)
東京大学工学部卒業後、マサチューセッツ工科大学で修士号を取得。ドイツの研究所でのリサーチインターンを経て、2011年に新卒入社した株式会社IHIにてガスタービンエンジンの研究開発に従事。その後、2014年にボストンコンサルティンググループに転じ、事業戦略立案、事業効率改善、企業統合における組織設計、企業分割のPMOプロジェクトなどで活躍し。2021年4月にNABLA Mobilityを創業。

田中CEOが語る、NABLA Mobilityの事業

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-- 田中さんがNABLA Mobilityでこれからやろうとしていることについて教えていただけますか?

NABLA Mobilityでは、航空機業界の効率改善、地球全体の脱炭素に貢献するソリューションを、AIやデータを活用して提供していきます。

具体的には、状況に合わせて最適な飛行設定を提案する空のスマートカーナビのようなシステムを作りたいと考えています。

これまで確定論的に飛行最適化をするシステムは、航空機搭載電子機器を含めて存在していました。そこから更に踏み込んだ非効率の刈り取りを行うためには状況に応じた最適化が求められると考えています。その一連をソフトウェアで自動的に実現することを目指しています。

-- 社会的意義のある事業ですね。会社の名前はどこからきていますか?

NABLAは数学の演算子「∇(ナブラ記号)」に由来します。いろんな変数を偏微分する演算子です。最適化は目的関数の極値を偏微分で探す行為なので、飛行の最適解を創る我々の取り組みに、偏微分の演算子である名前がフィットすると考えました。

自分のやりたい事業から類推する形で探し、同時に他の会社と被らないように気をつけました。やはり象徴的な名前は他でも使われていて、NABLAもよく使われているんですが、「移動体」としての最適解を求めるということで「Mobility」と組み合わせたときに被らなかった。ドメインもとれたので、NABLA Mobilityに決めました。

学生時代の原体験を深掘ることから着想を得た事業案

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--日本を代表するVCであるインキュベイトファンド代表パートナーの村田祐介 さんとの最初のミーティングでは、田中さんが100近い起業アイデアを発表したことを覚えています。事業領域をどのように絞っていったか、教えてただけますか。

昔から「空飛ぶものが好き」だったので、この関連領域で起業をしたいと思っていました。ただ、村田さんと議論を始めた段階ではとてもフワフワしていましたね。最初は、いかにもコンサルといったアプローチで世の中のトレンドを調査してリスト化した曼荼羅図を作りました。

ただ、このアプローチは、すぐに行き詰まりました。

まず、世の中の社会課題やメガトレンドを把握してトピック毎に並べて整理し、次に、そこに自分の興味のフィルターをかけるという手順だったんですけど、世の中で既に課題として認知されているモノって、誰かが大抵やってるんですよね。

誰かのアイデアをなぞるだけでは、自分ならではの掘り下げがうまくできません。そこで、事業としていかに筋が良さそうかは置いておき、「そもそも自分が本当に興味関心ある事はどこか?」と原体験を深掘りすることに注力して、今の事業にたどりつきました。

-- 原体験を深掘られたとのことですが、今回のアイデアの着想はどういったところにあったのですか?

最初の着想は、学生時代まで遡ります。マサチューセッツ工科大学(以下、MIT)への留学時代、研究室では外部講師を招いたセミナーを定期的に開催していました。

ある日、ケンブリッジの​​Cumptsy先生がジェットエンジンの講演に来て、「エンジンの設計や効率化については散々議論され尽くしているが、『使い方』が設計と整合しないことで、非効率を生んでいる」という話をしてくれました。

飛行機の離陸から巡航になるまでの上昇過程で、設計要求として必要がないレベルの高い上昇速度を課している。それを緩和すればシステム全体の効率が良くなるのに、現場の運用要求と設計要求が合致していないために全体の性能が低下しているという話でした。

この話が頭に残っていて、アイデアを考えた時に思い出しました。モノの性能を向上させる動きは大企業が中心となって常に追い求められているが、運用側で最適に使えていない。エンジニアリングと使い方の間でギャップがあり非効率が生じている。使い方の側面でこれを改善したい。

-- そこから具体的にはどのようにステップを踏み始めたんですか?

そのケンブリッジ大学のCumptsy教授が出した元論文を読んで、「上昇速度の設定を緩めることで燃料消費が減る」という話をパイロットにもヒアリングして、実際に課題があることを確認しました。

次にこの課題を解くための方法を調査しました。現在、半導体技術の発展で情報処理能力は急成長している。また、我々が旅客機に乗っていてもわかるように、通信環境が飛行機内でもより多くの情報が扱えるようになってきている。この技術を組み合わせて何か臨機応変に最適化できる方法がないか調査しました。

そこからさらに、論文の著者たちにメールして、ヒアリングを繰り返す日々です。技術に対する意見は様々でしたが、最後は自分自身で決断しました。業界の特性として論文調査含めてアプローチしていくのは基本的に海外でしたね。

-- アカデミックなバックグラウンドがあるからこそできる地道な活動ですね。大手の会社さんに導入してもらうことになると思うのですが、大手社内では開発されていない領域なのでしょうか。

似たようなことを古典的な方法で解くソフトは昔からありますが、航空業界全体としてAIを運航に活用するのは結構新しい話なのです。

安全を最重視する業界にとって、馴染みのないAIを使うのはハードルが高かったみたいで、人命が関わらない比較的ライトな産業よりも導入は遅いという実情があります。

「空飛ぶものが好き」だった少年が、IHIでジェットエンジンの職に就くまで

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-- 田中さんがどのようなキャリアで、起業まで行き着いたのか迫っていきたいです。根源的な欲求の「空飛ぶものが好き」というのはいつ頃からあったのでしょうか?

小学校の低学年、多分3年生くらいからですね。鳥や飛行機や気球なんかを見て「浮いているってすごいな」と思ったところからですね。

長く飛ぶ少し高級な紙飛行機に凝っていた時期があり、なんとかしてミニ四駆のモーターをつけられないかと試行錯誤していた時期があります。バランスがとれなくて苦労しました。(笑)

気づけば、モーターをいじっているうちに機械も好きになり、飛行機の機体が好きになり、飛行機好きな気持ちが高じてパイロットなりたいと思っていました。

-- ジェットエンジンに興味を持ち始めたきっかけはいかがでしょう?

突飛なきっかけですが、中学生の頃、IHIのCMで、V2500というエンジンを映したCMがあったんですよね。それを見たときに「あ、おれジェットエンジンやろう」って思ったんです。

そこから、東大に入ると教養課程があるので色々見たんですが、好きこそものの上手なれとそのまま航空を選び、メカと航空の合体でジェットエンジンを研究テーマとしました。

-- IHIとは運命の出会いですね。MITへはどのような経緯で行かれたのでしょうか。

大学時代の研究テーマで小さいエンジンを選んだのですが、その世界で一番著名な研究所の一つがMITでした。

2000年頃から航空宇宙でもMEMS(Micro Electro Mechanical. Systems,メムス)と言われる技術が流行ったんです。そのMEMSでジェットエンジンとロケットエンジンをつくろうというプロジェクトがMIT主導で発足したんです。

そのウエハーチップのサンプルジェットエンジンを見た時に、エキセントリックで、尖っている感じがして、これをやりたいと思ったんですね。

ただ実は、私がMIT行こうと確信したのは、旅行でMITミュージアムにいって、展示物をみたときだったんですよ。

-- どんなアートだったのでしょう。

ぐるぐる回る水車が、下にある潤滑油をすくって、設置されているアート自身にひたすらかけ続ける、言うなれば「自分を潤滑し続ける機械」でした。こんなことが許されて、全力尽くせる環境だとしたらこれは面白いなと思ったんです。

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MIT留学時代。PW4000のエンジンと共に

-- 自由な校風が垣間見れますね。実際にMITへ行ってみて東大とはどのように違いましたか?

日本とアメリカの勉強では、頭の使い方が全然違うんだなと感じました。

東大にいる人の学生の方がいわゆるお勉強できる方は多いとよく周りで言われていました。数学のテストでは日本の学生の方が平均して良い成績をとりそうです。MITはその点スキルの面では、できる人もいるけど、できない人もいたり、そこの分布が広いなと思いました。

他方、議論して答えを出したり、概念的な議論でアイデアを出すのはMITの学生の方が強かったですし、非常に重視されていました。だから新しいことやってみようとする学生もたくさんいたっていうことがとても印象的でしたね。

MITはとにかく均一性がなくて面白かったです。

東大を休学して行っていたので、日本の大学院でも論文を出してインターンしてから、新卒でIHIに就職しました。

「周りに考えを伝える」スキルを身に付け、チームでの動き方を学んだBCG

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-- 中学生の頃から思い描いていた夢の企業、IHIでの職業経験はいかがでしたか。

ジェットエンジンで一番温度が高い燃焼器関係の部位の開発を中心に様々な仕事をしていました。小さいチームで自由度を持って、新卒にも関わらず良い経験をさせてもらったと思いますね。3年ほどいました。

-- 素敵な環境だったIHIを離れたのはどうしてですか?

個別具体の作業よりも、エネルギー問題など社会的な課題に対して貢献している青写真が自分のモチベーションだったのですが、自分の仕事がどれだけ世の中に対しインパクトをもたらしているのか、わからなくなってしまったのです。

例えば「排ガスを綺麗に」といった研究のテーマがあがってくるのですが、すでに燃焼器の燃焼効率はほぼ99%と極めて高く、ガソリン車よりも排ガスは綺麗だったりする。この課題を追いかけ続けることが、社会の課題解決に根本的に貢献しているのかわからなかったんですよね。

当時は、ビジネス的にどれだけポテンシャルがあるのか自分で考える能力がなかった。だから、社会やマーケットとの繋がりを考える思考力を鍛えられる機会を探し始めました。

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中学生の頃からの夢だったIHIに新卒で入社

-- BCGにはどういった経緯で?

セールスエンジニアやフィールドエンジニアも見ていましたが、マーケットに近い側でよりビジネスサイドに寄せたところに、コンサルという選択肢がありました。

そして、エゴンゼンダーの方に相談したらBCGが良いと教えてくれて、あれもこれも調べる時間ないですし、話を聞いてとても良さそうな場所だと思い、他のコンサル会社を受けるとかはせずにBCGへいきました。7年ほどお世話になりましたね。

-- BCGで働いた7年間を振り返ってみて、よかったなと思う点はどこでしょうか。

プロジェクトごとに上司・チームメンバーが変わっていくことですね。テーマの変化だけでなく、上司・メンバーが変わるごとに都度別のことを学べるのは良い点でした。

また、自分の考えをしっかり相手に伝える能力を叩き込んでいただきました。エンジニアの時は、主語が全部「私」で、チームでの動き方としては今振り返るととても未熟でした。

分析や論理的な思考は大事なんですが、最後はクライアントの人たちに腹落ちして動いてもらって事業成長につなげる必要があるので、周りに考えを伝えられるかはすごく大事な点です。

そこを、コミュニケーションの仕方も踏まえて叩き込まれたのがBCGでした。この「周りに考えを伝える」スキルは起業する際、無くてはならないものだと思います。

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周囲を巻き込むコミュニケーションを学んだBCG時代

-- コンサルを経験してから起業をしてみて、戦略コンサルの方に起業はオススメといえますか?

起業に必要なスキルセットの一部をトレーニングするのに良い場所だとは思いますね。コンサルでの経験を活かし、実際に活躍している人もたくさんいます。

どういう事業をやるかだと思うんですが、例えばビジネスモデルで戦う事業はそういった人たちが一生懸命考えてやるというのが良いと思います。

ディープテックであっても、技術に詳しいとか創り出せる人と共に起業するうえでも無くてはならない役割だと思います。

個人的には、どんどん挑戦者が増えることを楽しみにしています。

起業という選択肢がリアルに変わった旧友との再開

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-- BCGを経て起業されたわけですが、起業という選択肢はいつ頃からあったのでしょうか?

起業が選択肢として入ったのはMITへ行った時くらいからですね。MITにいくと、急に「優秀な人は起業するんだ」と常識が変わるんですよ。

起業を一番身近に感じたのは、私の1年後に研究室に入ってきた人が、修士卒業のタイミングで起業したときでした。とても優秀な人が本当に起業するのを目の前でみて、非常に強い衝撃を受けました。その会社Altaerosは今でもグローバルに活躍を続けています。

そのあと一回新卒でIHIという企業に入りつつ、自分でも何かできないかはずっと考えていましたが、当時はうまく見つかりませんでした。

-- 一度企業で働かれてから、起業への想いが再熱したのはどうしてですか?

私の高校の同級生、BCGの先輩でOnedotの鳥巣知得CEOがいて。2017年頃、オフィスに遊びにいったときに彼と話して、自分でビジネスアイデアを考えて社会に価値を提供している人がいるんだ、と身近に感じたことが大きいですね。

-- 鳥巣CEOとお会いした時の印象的なエピソードは何かありますか?

「世の中は課題で溢れている。どの業界であっても、きっと何かしらの課題はあって、それを解決するためのビジネスチャンスは必ず存在する」という趣旨のことを彼が言っていたことは印象的でした。

そして、「起業に興味があるんだったら、まず自分が好きで一番得意な領域で考えるのがいい。他の人間がとやかく言ってきても、どっかにペインポイントや課題はあってそれを解決するきっかけはある」と言ってもらいました。

別れ際「じゃあ、来週までに課題リスト50個つくってきて!」と言われ、それは正直やっていませんでした(苦笑)ただ、このペースで考えれば事業ができそうだなと現実に感じましたね。

-- 戦略コンサルティングファームはかなりの激務なので、起業の準備は劣後しますよね。何が重要になると思いますか。

重要なのは、起業するという覚悟ですね。やはり忙しいことが言い訳になっちゃうと思うんですよ。実際すごく忙しい。日中働いた後、週末や夜の時間を切り出すって言っても、寝るまで仕事していますから。最後はやはり覚悟でなんとかするしかないと思います。

起業の「覚悟」を決めた転機

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-- 田中さんが起業の「覚悟」を決められた転機は?

転職媒体を登録すると色々話が来ると聞いて、登録して転職活動をしてみたことでしょうか。これをやり切ったのが大きい。

CEOをやってみたいとは申し上げましたが、自分が人生かけたい事業を誰かがやっているんだったら、そこにジョインするのも良いと思っていた。ただ、他も検討したものの、自分が人生をかけて飛び込みたいと思うほど共感できるものがなかなか見つからなかった。

「だったら自分でやろう」と考え始めました。

-- 起業への覚悟と同時に、一年半前にお会いしてから一貫して、社会貢献に対するただならぬ「覚悟」を感じるのですが、何か原体験があったのでしょうか?

私がエネルギー問題に本気で危機感を持ったタイミングは、留学でアメリカにいった時でした。

最近「脱炭素」と叫ばれていますが、ご存知の通り結構昔から何度かの波をもって言われていて、私はアメリカに行った時に象徴的な体験をしたこともあり、大事な問題だと認識しはじめました。

2008年のリーマンショック直前くらいに原油価格がバレル140ドル位に跳ね上がったタイミングあったんです。

当時、私はアメリカではガソリンが安いというイメージを持っており、確かに行った直後は安くて、自分の大学のすぐ近くのガソリンのガロンあたりの値段が2ドルくらいだったんですが、あれよあれよとメーターが上がっていき4ドルを超え、あっという間に日本と変わらなくなる過程を目の当たりにしました。

この出来事は、ヒリヒリとこのままでは世界が回らなくなるんじゃないかという危機感を私に植え付けた経験でした。当時エネルギーの供給持続性が話題になったときで、沢山の取り組みが出ていたんですけど、自分でも色々模索して当時はこれというアイデアが見つけられなかった。

いまでもこの原体験はとても大事にしています。

-- その原体験の次なる矛先を検討している際に、ヒューマンキャピタリストの弘中寛太とお会いしたわけですね。印象に残っているエピソードがあれば教えてください。

最初は転職エージェントの方とお話をする想定でお話を伺ったので、転職を勧められるのかなと思っていたのですが、しばらく話をしていると、どうやら転職のお誘いだけに興味があるわけでは無いんだなと認識しました(笑)。 

フォースタートアップスの「起業支援」の取り組みについて教えていただき、その結果、インキュベイトファンドの村田さんを紹介してもらい今に至ります。

弘中さんには、起業アイデアの話相手になってもらうだけでなく、これまで弘中さんが見てきた多くの起業家の方々がどのような思考や過程を乗り越えて進んできたのかを共有していただくことで、自分の検討を後押ししていただきましたし、定期的に面談を挟んで良いリズムを作っていただきました。

また、転職関係なく、事業や起業の相談に乗ってくれる方をその都度何名も紹介してくれたことは大変助かりました。

-- 1年半ほどご一緒させていただき、クレバーなキャリアの田中さんが泥臭く調査をしている様が印象的でした。インキュベイトファンド村田さんについては最初どんな印象でしたか?

「反応が早くかえってくる方だな」と思いました。様々な業界にアンテナを張られてて、私が興味のあるテーマに関して、「こんなトレンドありますよね」と、すぐにレスポンスが返ってくる。村田さんと議論していると話が進んでいくなと感じました。

-- その後、様々なVCの方ともお話しされていましたが、村田さんはどんな点が際立っていると感じますか?

村田さんの特徴は「投資家目線」ではなく、「起業家目線」で話してくれることですね。起業から成功までのプロセスを一巡知っている方から話が聞ける感じです。投資家としてLPからお金を預かっている立場としてという感じではなく、「私だったらこうする」という印象の発言が多い。「このタイミングだったら、こういうことをすべきだと思います」と。

だから「こういうことに悩んでていて、どっちかなと思うのですが村田さんだったら何を軸にどうします?」という相談がとてもしやすい。1ヶ月か2ヶ月に1回程度のペースでお時間をいただいていました。

ミッション実現を共に追いかけるチーム、そして家族について

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-- 最高の投資家からの支援があること、大変心強いですね。一筋縄ではいかない課題解決へのチャレンジは起業される仲間が大事になってきますが、今はどのようなメンバーで挑戦されているのでしょうか?

東大へ通っている頃からの顔見知りがほとんどです。私と創業者ラウンドで一緒に入って、共同創業者になってもらう1人。あとはエンジニアとコーポレートとBizDevを手伝ってくれている人が1人ずつ。計5人で進めています。

-- 利害関係がない学生時代からの友達って重要ですよね。偉大な企業の共同創業者が大学の同級生だったりします。

そうですね。今回の起業において優秀な友達・知人には既にたくさん助けられています。自分の能力が足りないから、優秀な方に背中をあずけています。

-- 明確な市場がない事業体なだけに、仲間集めが非常に難しいと感じましたが、仲間集めには何を重視しましたか?

背中を預けられるかを重視しました。

実現したい世界観を、誰と一緒だったら実現できそうかひたすら考えましたね。ただ、おっしゃる通り、何をつくるかもぼんやりしている状態で、誰を誘うかは本当に悩ましかった。

考えた結果、このタイミングで入ってくれている方は、昔からの知人で、どれくらい頑張れるか含めパーソナリティをよくわかって背中を預けられる人が良いかなと。

この業界に対する情熱を持っていることはもちろんのこと、その上で、明確な正解がない中、自分で考え自走するフェーズを一緒にできそうな人は誰かと考えたときに、彼/彼女たちだと思いました。

自分とは違う能力を持っているかも重要です。コンピュータサイエンスの現状を鑑みた実現可能性や、チップの性能限界などは、実際に第一線で使っている人たちが検討するのが速いですしね。

-- 会社のチームも大事ですが、家庭内のチームも大事ですよね。起業するときに、ご家族とはどのようなお話しになられましたか?

妻は私の大学院のときの同級生なんですが、現在はスタートアップにいるので、いわゆる嫁ブロックはなかったですね。すごくサポーティブで「やると決めたなら早くやりなよ」と言ってくれました。

もしこの挑戦が失敗したとしても、本気を出せばなんとか稼ぐだろうとは言われました。真摯に議論に付き合ってくれますし、頼りになる人ですね。

-- お二人ともスタートアップだと家庭の役割分担に工夫が必要そうですね。

彼女は彼女で忙しい日々を送っていて、夫婦共働きで、娘がいる。この家庭をどうやったら回せるのかを考えたときに、起業は有効なオプションでもありました。

BCGでも、ダイバーシティー&インクルージョンというのはとても大事なことはみんなわかっているし、それをサポートするようなシステムはあります。私もBCGにいるときに娘が生まれて、周りに手厚くサポートしてもらっていた立場でした。

ただ、朝は保育園まで送り、夕方に迎えにいってから夕飯つくる立場だったので、例えば「夕方は会議いれないでください」とお願いした時期もあったんですが、お客さんありきの仕事なので、構造的に難しくもありました。

それでいうと、自分でスタートアップを創業すると、働き方のカルチャーをゼロから創っていけます。周りが創ってくれたシステムとカルチャーの中でやるか、自分が創れるかという差は大きいと考えています。

NABLA Mobilityの目指す世界観

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-- システムやカルチャーという話がでてきましたが、今後はどういった組織にしていきたいのでしょうか?

私たちのやろうとしているビジョンに共感してくれて、一生懸命動ける人であれば、国籍、性別等、家庭環境に関係なく誰でも受け入れるようにしていきたいです。多様な立場の方が動きやすい環境にしていきたい。

マーケットがグローバル前提で、日本の常識がほぼ通用しないので、日本出身以外の方々にどんどん入ってきていただきたいという想いが強くあります。また、女性が働きやすい環境も積極的につくっていきます。

余談ですけど、今の5人のチームの内3人の男性は育児をしながら働いています。基本は夫婦共働きの家庭の人で、同じ年代なんですね。だからみんな夕方にはブロックタイムがあり、お迎えや夕飯作りをしています。その人たちが働けるカルチャーを作っていこうとすると、自然とそうなっていくんですよね。

-- 先ほどグローバル前提ともおっしゃっていましたが、未来展望はどのように考えていますか?

将来的には世界中で使って欲しいですが、東南アジアや中国の東アジア圏は地域的、時差的に近いので可能な限り早いうちに展開したいと思っています。この地域は航空機の輸送需要が今後伸びると期待されている地域でもあります。もちろん従来からの大きな市場である北米とか欧州へも出ていきたいです。

カルチャーの面で目指す組織も含め、必要であれば、社内公用語を英語にすることも前向きに検討したいと思います。

-- 最後にこのインタビューを読んで、NABLA Mobilityに興味を持ってくれた方へ一言お願いします。

弊社の活動はグローバル競争という事業面だけでなく技術的にも難しさがある一方で、航空を中心とする人々の移動を効率化させるという大きな世界観を目指しています。

脱炭素の側面では記事などで言われるほど、航空業界は直ぐに実運用可能な解が見出せている業界ではありません。これまでの業界経験に関わらず、その様な課題の難しさ・世界観に興味を持っていただける方に是非、参画していただき一緒に事業を作っていきたいです。

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EVANGE - Director : Kanta Hironaka / Creative Director : Munechika Ishibashi / Assistant Director : Yuto Okiyama, Koki Azuma, Akinori Tachibana, Tomotsune Amuro / PR : Hitomi Tomoyuki / Photographer : Hayato Jin

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