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新たな市場を切り開き続ける17 Media Japan 溝手 亘氏が説く「チームで勝つ」重要性

全世界4,500万ユーザー突破した、日本No.1ライブ配信アプリ「17LIVE」のグローバル進出を牽引した人物をご存知でしょうか。今回、M17 ENTERTAINMENT(17 Media Japanの親会社)USのCEOを務める溝手 亘(Wataru Mizote)氏の働き方の軸に迫ります。

“ニューエリートをスタートアップへ誘うメディア” EVANGEをご覧の皆さん、こんにちは。for Startups, Inc.のEVANGE運営チームです。

私達が所属するfor Startups, Inc.では累計130名以上のCXO・経営幹部層のご支援を始めとして、多種多様なエリートをスタートアップへご支援した実績がございます。

EVANGEは、私達がご支援させていただき、スタートアップで大活躍されている方に取材し、仕事の根源(軸と呼びます)をインタビューによって明らかにしていくメディアです。

溝手 亘(Wataru Mizote)
関西学院大学を卒業後、リクルートへ入社。営業経験を積んだ後にテクノロジーへの関心からグリーへ渡り、スマホ事業の立ち上げやヨーロッパ拠点の立ち上げに携わる。その後、AOI Pro、メタップスにてグローバルビジネスの拡大を牽引され、現在はM17 ENTERTAINMENTにてグローバルでのライブ配信市場の開拓に従事。

成長を続けるライブ配信プラットフォームの世界進出の立役者、溝手氏のミッションとは

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-- 17 Media Japanの現在の事業と、溝手さんの役割について教えてください

ライブ配信プラットフォーム「17LIVE(イチナナ)」の運営をメインに、複数事業を展開しております。M17グループの発祥は台湾ですが、2017年6月に株式会社17 Media Japan が設立され、私自身は従業員数が30名弱の時に、ビジネスディベロップメントチームのマネージャーとして参画しました。

「17LIVE」の特筆するべきポイントとしては、プラットフォームの提供に留まらず、ライバー(ライブ配信者)のサポートをしていることです。

ライブ配信は「人」が「ライブ」で行うものなので、他のゲームや動画のプラットフォームのようにコンテンツ量を増やす事が容易ではありません。そのため、先行でサービスを開始している台湾でのノウハウを活用しながら、ライバーのモチベーションを維持してコンテンツ量を増やし、来ていただいた視聴者の方と上手くマッチングを図っていました。「応援したい」と思っていただけるように整えていく事が最初の仕事でした。

現在の肩書きとしては、M17 ENTERTAINMENT(17 Media Japanの親会社)におけるGlobal Business StrategyのGMとしてグローバル案件の推進と、M17 USのCEOとして米国における事業の責任者を担っています。

台湾、日本、に続き香港、アメリカ、中東アフリカと海外拠点も増えてきており、横軸で見ることが重要になってきたので、Global Business Strategyという機能を作りました。

-- 今、ライブ配信という新しい市場でチャレンジされているように、これまでグリーやメタップスなどでも市場を切り開くご経験をされていますよね。どのように身を置くべき市場を判断されているのでしょうか?

アントレプレナーが産業を変えたいと立ち上げたニッチにも見えるサービスを、マクロの変化をどう捉えて、どのような意思決定で起業されたのかを常に考えています。テクノロジーの進化そのものよりも、その先のビジネスをどう見据えているかが重要ですね。

例えば5Gによるリッチ化という話も、情報量を増やしたところで何をするの?という話になりますし、ブロックチェーン、AIなどの技術も同様にどうビジネスが派生していくのかをイメージするようにしています。

直近の話ですが、SpaceXのローンチは非常にワクワクしました。ソユーズのパイロット達と見比べた時に、圧倒的にカッコ良くなっていましたね。宇宙服は一気にシンプルになっていましたし、ボタンは全て電子タブレット、管制室もデュアルディスプレイのガラス張り。これがイノベーションのジレンマかと強く感じさせるほど、9年間スペースシャトルから離れて0→1で作り直した成果を目の当たりにしました。

中国やアフリカの今の成長にも通ずる所がありますが、今までの派生でやってきて守るべきアセットがある中で作っている人達より、0→1で作っている人たちは圧倒的なスピードで追い抜いていきます。スタートアップで「大きなビジネスアイデアを」と考える時には、こういったスクラッチになっているところをいかに探しにいくか重要だと強く感じたトピックスでしたね。

成し遂げたいことを成すために選択した「営業」としてのキャリア

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-- 少し時間を遡らせて下さい。今までグローバルなチームでご活躍されていらっしゃいますが、いつからグローバルな環境に身を置かれたのでしょうか。

中学からですね。中学・高校と思春期をアメリカのシカゴで過ごしたのですが、最初は英語もできない状況で本当に大変でした。英語が話せないので、学校でのヒエラルキーは最下層でした。ただ思春期でモテたかったので、英語を必死に勉強しましたね(笑)。徐々に友達もできるようになっていき、高校入ってからはスポーツで結果出したりしながら、学校内でのプレゼンスを上げていきました。

そのままアメリカの大学に行くつもりでしたが、父に「お前の日本語レベルではバイリンガルとは言わない。日本語もちゃんとビジネスで使えないと価値は無い。」と言われたので関西学院大学へ進学しました。

-- 大学卒業後はリクルートへ営業職として入社されていらっしゃいますが、何故リクルートを選ばれたのでしょうか。

もし自分が失業した時に一番再就職しやすい職種が営業だと思いました。両親からはグローバルで仕事をして欲しいという思いもあって商社を勧められたんですが、泥臭い営業から始めておかないと、もし仮に「泥水すすってでも生きていかないといけない」ほどの立場になった時に、プライドが高くて手がつけられなくなる事が一番怖いと思ったんですよね。

-- 当時は大手企業への就職が一般的であったかと思いますが、何故転職を前提とした就職を考えられたのですか?

父親は大手企業で35年間サラリーマンとしてのキャリアを築き上げてきた人間で、ある程度のポジションで海外に行くチャンスを得るまで20年くらいかかっていたのですが、自分自身が同じような生き方をしたいのか考えた結果、「もっと成り上がりたい」と思いました。

アメリカで暮らしていた影響もあって「転職でキャリアアップしていく」という発想は元々ありましたし、成り上がるためには多少のリスクを負って転職する必要があると考えていました。

もし仮に事業が失敗した場合でも「この実績だったら即採用」となる可能性が高い職種が営業職だと当時は考えていたのと、グローバル展開はビジネスサイドから始まる事が多かったので、特別なスキル・経験も不要で頭の良さも関係無く入れる営業職からキャリアをスタートさせる事にしました。

恩師リクルート峰岸CEOから頂いた、成長への原動力

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-- リクルートではどのような仕事をされていたのでしょうか?

現在のSUUMOの前身である住宅情報という事業部へ配属となり、東京23区の全不動産会社を相手に飛び込み営業を行う事が最初の仕事でした。
当時の上司が現リクルートホールディングスCEOの峰岸さんで、「君らのこれからの30数年のキャリアはこの3ヶ月で全て決まります。」という激励の言葉を今でもハッキリと覚えています。要するに「息を止めるべき時は止めてやり切れ」というメッセージだと思っていますが、この時の経験があったからこそ今でもがむしゃらに頑張れるし、私も社内でメンバーに今でも伝えていることの一つです。

ただ、当時は全く成果が出ず、目も当てられない成績で、非常に焦りました。

-- 今のご活躍からすると信じられないですね。何か転機があったのでしょうか?

戸建グループに配属される事になり、「提案型営業」をする事になった事で光り始めました。当時の上司や人事が見極めて采配してくれたんだと思いますが、がむしゃらに動く事よりも、考えて行動する事の方が私に合致していましたね。

そこから大きな案件に恵まれるなどして少しずつ自信を取り戻す事ができ、態度や姿勢が好転してポジティブなサイクルが回るようになっていきました。難しいクライアントを任せて頂いたり、3年経った時には表彰もして頂きました。

ただ、個人としての成果以上に、チームの絆が強くなっていく感覚がたまらなく楽しかったです。今では出来ませんが、夜中まで働いて朝3時に築地で寿司を食べて会社に戻って働いたり、合宿や飲み会、出し物でアイドルの踊りを踊ったりしていました。文化祭の前夜祭が毎日あるみたいな感覚が面白かったです。

-- 自身の成長やチームの結束も高まり順風満帆だったと思いますが、その中で最初の転職に踏み切ったのは何故ですか?

リクルートでも住宅情報からSUUMOへと変わって行く中で、フリーペーパーからネットへと遷移していく流れを感じました。当時サイバーエージェントさんもすごい勢いで盛り上がっていきましたし、新しい時代へのシフトが見えていたので、テクノロジー側に身を置きたいと思い始めたからですね。

テクノロジーとグローバルの軸が重なり合ったグリーでの挑戦

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-- いくつか選択肢があった中、グリーを選ばれた理由を教えてください。

人数も少なくチャンスが回ってくる可能性が高いと感じたので、グリーへの入社を決めました。

ちょうどその頃にiPhoneが発表され、ガラケーからスマホへシフトするタイミングが絶対に来ると思いました。それまでにモバイルの知見を得たいと考えていたのと、既存のビジネスがこれだけ成長していれば、今後海外進出を考えるだろうと思えた事も決め手になりました。結果を出していればそこに選ばれると勝手に思っていたんですよね。

最初入社した時は、リクルートで結果も残していたので絶対に成果を出せると思っていましたが、入ってすぐに「このままではまずい」と非常に焦りました。周りの同い年の方は事業をゼロから作る経験も積んでいたのでビジネス力が圧倒的に高かったです。ただ用意された型で発展的に売っていた自分とは大きな差がありました。

そこから必死に勉強して、経験を積んで、スマホ事業の立ち上げメンバーに選ばれ、さらにグローバルへの意向を発信し続けた結果、ヨーロッパ拠点の立ち上げ時にチャンスが回ってきました。


-- 入社時の想定通り、グローバルでのキャリアのチャンスを掴めたんですね。多くの人がグローバルでのキャリアへ憧れを抱いていますが、実際はいいかがでしたか?

最初の頃は社内のルールが当時は整っておらず、ある意味辛かったですね。ルールがグローバル統一で同じだったので、中国もロンドンも手当は一律でした。中国では豪華なホテルに宿泊している中、ロンドンは物価が高いので、毎日サンドイッチを食べ、何度も強盗に合うような治安の悪い地域に宿泊していました。

商習慣の違いからコーポレートカードの発行も当時は受け入れられず、50万円の出展費用を個人のカードで立て替えたりした事もありました(笑)。

世界的にも有名なフランスの大手ゲーム会社とアライアンスを締結し、業界もざわつく程の実績を残してきましたが、ソーシャルゲーム市場も伸び悩む時期に差し掛かりました。そのタイミングで海外事業の撤退が決まったりしたので、自身も次のキャリアを志向するようになっていきました。この経験から、ヘッドクォーターのアサインが非常に重要だと感じるようになりましたね。

その後は偶然AOI Proの知り合いから東南アジアでの海外事業をやりたいという話をいただいたので参画しましたが、すぐにスタートアップの枯渇したギラギラした世界に戻りたくなってしまいました。

上場企業の資金力や、50年続く広告制作会社という信頼を背景に提案ができる事に面白さを感じて入社したのですが、自分のバリューでは無く会社のバリューで仕事をしている感覚を強く感じてしまい、自分でなくても仕事は回るなと思いました。

そんな中で偶然、メタップスの佐藤航陽CEOのブログを読んで「日本にもこんな天才的な人がいるんだ」と嬉しくなって話を聞きにいきました。1時間だけ話す予定でしたが、そのまま6時間話し込んで、その場で入社する事になりました。

メタップスにて学んだ「チーム」で戦うことの重要性

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-- 私も佐藤CEOの著書「未来に先回りする思考法」を読んだ時は衝撃を受けたのを覚えています。メタップスの成長戦略は非常に面白いですよね。

当時からかなり変わっている会社でした。スマホでビジネスをやるのであればiOSでないと儲からないと言われた時代だったので、どの代理店さんもiOSの広告マーケに注力されていたのですが、全く逆の「Androidしかやらない」という差別化戦略を取っていたんですよ。

結果としてAndroidも無視できない状況になった時に必ずメタップスに声がかかるようになっていました。

また、海外展開についても同様で、私がいち早く海外の案件を担当してノウハウを蓄え「グローバルでアプリやるならこうするべき」という情報発信を行っていきました。その結果、「海外展開するならメタップスヘ聞け」となっていったんですよね。PRと営業でこういうブランディングをしていくことが非常に強い会社でした。

入社当時は20名程度でしたので、少人数で巨人達と戦っていくことが必要で、みんなで切磋琢磨してきました。事業の成長以上にこういった仲間がいる事を、私自身が重要視していると、その時に気付きましたね。

-- メタップスも事業がグロースして魅力的な仲間も増えていった中で、転職をしようと決意されたのはどういう背景があったのでしょうか?

メタップスもフェーズが変わっていく中で経営の事なども見させて頂きましたが、この頃に次世代を担う若手と働く事の楽しさを感じるようになりました。

メタップスでは良くも悪くも、個とチームの議論がありました。優秀な人だけ生き残ればいいという考えもあったのですが、私は全く逆で優秀な人は自分で生み出すものだと思っていました。

最初から超優秀な人材を集められる訳でも無いですし、過去の自分のようにある程度の経験を経てから成果を発揮できるようになる人もいます。誰もが最初から天才では無いので、そういった人を引き上げていかないと、いつまでたってもリクルーティングし続けねばならないです。

みんなで喜びを分かち合い、成功体験を積み、そうして強い人材が増えていく事が、強い会社への成長に繋がっていくと感じ、HRや組織に強い思い入れを抱くようになりました。

アントレプレナーは「優秀な人を集めたい」と言う人が多いのですが、組織作りを疎かにしている人が多いと思っています。コミュニケーションは一個ミスするだけで不平不満に繋がってしまうので、僕らがどう思っているかではなく、受け手側がどう思ったかが全てです。マネジメントを上手くできる人材を増やさないと、個人では優秀でも、チームを活性化する事ができずにどんどん潰れていってしまいます。

そんな事を考えていった時に17 Media Japan代表の小野に出会ったのですが、小野も組織課題などを経験して人間の部分にフォーカスするようになっていたタイミングでした。この話をした時にピースが噛み合いました。ライブ配信というテクノロジーも伸びていた事もありましたが、小野がいたからこそ新しいマーケットを作る決意を持って参画出来ました。

17 Media Japan の強い「チーム」の作り方

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--溝手さんが重要視されていた観点は、どのように組織に反映されていったのでしょうか?

17 Media Japanはスタートアップながら、最初からHRに対してもの凄く投資していました。経営層が人事ポリシーや採用にも時間を割いてきた事が、結果的に優秀な人を呼ぶ事に繋がったんだと思います。

入社当初は本当に弱小スタートアップで、ライブ配信市場も今後盛り上がるか確信がない。あるのは「小野裕史」という肩書きと、Infinity Venturesなどから出資いただいた80億円の資金だけ。

そんな中で、例えばHRの楠橋がこれまで作ってきたリレーションでエージェントを集めて小野にプレゼンさせる場を作ったり、経営層では拾いきれない現場社員の感情面を拾って小野に提言したりしながら、経営層もスムーズにそれを実行して行きました。

初期フェーズは特にブラック化しやすいのですが、きちんとポリシーを作って会社のスタンスを従業員に示す事でどちらにもフェアに取れる状況を作ってきたんです。

スタートアップが壁を乗り越える時は、リーダーが引っ張っていく事以上にチーム全体が底上げしてブレークスルーしていく事が求められると思ってるので、こういった取り組みを通じてチーム作りを非常に重要視してきました。

-- メタップス時代もチームを率いる立場にいらっしゃったかと思いますが、特に注力するようになった点はありますか?

メタップス時代は直接メンバーを見ていたのですが、17 Media Japanに入社してからリーダーのマネジメントをするなど、階層を持つようになった点が大きいです。階層ができたが故に、経営層の言葉を自分が伝えるのではなく、リーダー達から劣化させる事なくメンバーに伝えてもらわなければならない。

だからこそ、カルチャーのすり合わせからビジネスの成長戦略まで明確で綺麗なメッセージを作って発信しましたし、その過程も密室化させずにオープンにやるというポリシーを大切にしていたんですよね。

例えばSlackでのコミュニケーションもなるべくダイレクトのやりとりを禁止にして全てのコミュニケーションを見えるところで行う。こういった施策をまだ社員が少なく組織が柔軟な時期から徹底していった事で、透明化にも繋がりましたし、社員みんなの発信力も上がっていると思います。

誰とやるか。誰と共に倒れるか。

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-- 溝手さんの中で意思決定される上で大切にされている事はなんでしょうか?

優秀な人達を束ねてチームの力で勝ちに行く事が得意だと思っているからこそ、「誰とやるか」を非常に重要視しています。

デール・カーネギーさんの墓標に書いてある、“Here lies a man who was able to surround himself with men far cleverer than himself.”「己より優れた者を周りに集めた者、ここに眠る」という言葉が好きなんですよ。誰と事業をしていくのか、そして誰と最後倒れるのかが重要だと思っています。

17 Media Japanの小野とか、メタップスの佐藤さんとか、for Startupsの恒田さんみたいに、それぞれ違うカリスマ性を持っている人が大勢います。私自身がスーパースターじゃなくても、どんどん優秀な人達を育ててそういう人達に囲まれながらチーム力で勝ちに行きたい。

YouTubeが外せないマーケティングツールになっているように、ライブ配信という市場で「発信するなら17LIVE」と世界的にチョイスしてもらえるようなグローバルブランドまで上げたいと思っています。スマートフォンの次の新しいデバイスも出てきそうですが、メディアの移り変わりを楽しみながら、時代に合わせたプラットフォームを作っていきたいと思います。

ライブ配信という新しい市場を切り開く覚悟

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-- 人・組織そして、今後の戦略ついてお伺いしてきましたが、実際に溝手さんが選び成長させてきたこの環境へはどのような方に来て欲しいですか?

この会社で突き抜けようというよりは「市場を作りたい」と思っている人と一緒に働きたいです。

東京でも未だに「17LIVE」を知らない人も多いですが、ライブ配信の市場はこれから何十倍にも大きくなっていきますし、テクノロジーの発展によってライブ配信×テクノロジーの領域はまだまだできる事があると思います。

例えば、ライブ配信データのアーカイブを分析して「どういう時にギフトが飛ぶのか」「どう喜怒哀楽を表現すべきか」「どんなトピックを発信すべきか」といった活用ができる事は間違いないです。これまで個人の勘と経験に依存していた領域が、オートマティックに行えるとしたらワクワクしてこないですか?

また、YouTubeがマーケティングツールとして使われるようになったように、ライブ配信ツールでのマーケティングも必須になる時代が来ると思っています。こういった領域まで見据え、現在のライブ配信から派生するその先のビジネスまで創造していきます。

こうして業界に変革を起こし、今まで無視していた人が手のひらを返して「話を聞かせてください」となる瞬間は最高に面白いです。優秀な経営層のお陰で追加調達もあり、コロナ渦中でも盤石な体制が整っていますので、是非一緒に市場を作っていければと思います。

-- 未開の市場に身を置く事を躊躇してしまう方も多いと思いますが、どのように一歩目踏み出すべきでしょうか。

自分が市場を作れなければ、多分誰も作れないだろうくらいの気概で来て欲しいですね。「覚悟が足りない」といった話はあまり好きじゃ無いのですが、やはりお互いにハッピーになれません。

その覚悟を決めるためにも「誰とその市場を作るか」も非常に重要であると思っています。私自身も小野がいたからライブ配信の市場に飛び込んできましたが、もし出会えてなければ違う市場に身を置いていたかもしれません。
だからこそ、面接ではチームメンバー達と同じくらいの気持ちでやれそうか、いい意味での少年心があるかを見ています。

事業の成長を信じ続けて市場を切り開く経験を得たいか、それとも既に成長軌道に乗っている事業を順当に大きくしていく経験をしたいかは各自の判断です。

私は前者を選択してきましたが、世の中には私よりも優秀な人は大勢いるので、自身ができると思う領域があれば躊躇せずにスタートアップへのキャリアを歩んで欲しいと思います。

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EVANGE - Director : Kanta Hironaka / Creative Director : Munechika Ishibashi / Assistant Director : Yoshiki Baba / Assistant Writer : Ryosuke Ono, Ryohei Watanabe / PR : Hitomi Tomoyuki / Photographer : Jin Hayato

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