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北井 朋恵(Tomoe Kitai)
新卒入社した京都日産自動車株式会社(以下、京都日産自動車)では、テクニカルアドバイザーとして車の修理に必要な部品の特定や発注などメカニック部門を経験。その後国内大手損害保険会社の損害調査担当として、交通事故調査および示談交渉に従事後、外資損害保険会社の日本立上げを牽引。2001年に株式会社リクルート(以下、リクルート)にゼクシィの企画営業として入社。入社後チームリーダー、グループマネージャー、営業部長を経験しMVP、優秀組織賞など受賞多数。またリクルートでの仕事と並行して経営サポートのコンサルティング会社を起業。その後2019年にクックパッド株式会社(以下、クックパッド)に入社しtoBビジネス全般を所管し新規事業も推進。2023年に株式会社プレイド(以下、プレイド)に入社。2024年1月より執行役員/VP of Customer Successに就任。
全ての経験が貴重ですが、今の仕事の一番の土台になっているのはリクルートのときでしょうか。
リクルートの前はtoCでの仕事に邁進していて、リクルートから本格的にtoBで全力投球し始めたので、ここは大きな転換だと思います。キャリアの初めの方は自動車事故の損害保険の仕事をしていまして、非常に充実していたのですが1つだけ物足りなかったんです。
交通事故の示談で「担当があなたで良かった」と言われても、2度とそのお客様と会うことはない、これは寂しいですし自分が昨日より今日、成長しているかが見えにくい側面もありました。
お客様と長くお付き合いできる仕事をしたい。
そう思い、転職活動をしていた最中、たまたま足を運んだのが、リクルート「ゼクシィ」の企画営業アルバイト説明会だったのですが、そのときの面接官の熱量にやられました。
私は企画営業の経験がないのに「あなたに来てほしいので、他に面接受けていただいた方は全部断りました」って言われたんですよね。今から振り返ると嘘だと思うんですが(笑)。
1人しか採用されない募集枠に対してそのくらい信じてくれたことが大きく、そのプレッシャーの中でバリューを出すことにチャレンジしたいとお世話になることを決めました。
実は入社後、プレーヤーとして、クライアントから圧倒的な信頼をいただいていた企画営業だったと思います。その結果、昨対UPの業績を常に実現できたのだと。
セールスというと一般的にはモノを売ると思われがちですが、私がやっていたのはクライアントのマーケティング活動を一緒に考えること、企業活動の課題を一緒に解決していくことでした。まさにマーケターとして活動していたんです。だからゼクシィはその手段の一つでしかなかった。ゼクシィ時代のクライアントの社長に今でも言われるのは「ゼクシィ売りに来なかったよね」と。
どうすればクライアントの会社が良くなるか、事業が大きくなるかだけをひたすら考え、マーケティング施策を提案していました。
そのためにめちゃくちゃマーケティングの勉強をしましたし、経営者の方と話すために経営や財務などの勉強もしました。そういう姿勢もあって、クライアントからの信頼は厚かったと思います。
今でも時々、さまざまな社長から「なんかブレストしたい」とお声がけをいただけます。
仕事って自分のためだけだったら絶対熱量が出ません。プレーヤーの時はクライアントの為、マネジメントラインに入ってからは、それに加え、メンバーの為、マーケットの為、役員になってからは事業の為、会社の未来の為、と自分以外への影響を大きく捉えていくから、恐ろしいくらいの胆力が出るんだと思います。
プレイヤーとして1番最初にぶつかった壁が、1人で考えたソリューションではすべてのクライアントを幸せにしきれないということでした。また世の中に対する影響度もイノベーションの大きさも小さいということ。
駆け出しのプレイヤーとして成績が良かったときは、クライアントとなる結婚式場のマーケティング施策はもちろん、プロモートするための撮影ディレクションも、飾り付けも、原稿作りも全部1人でやっていました。だけど、ある日限界を感じた瞬間があり、変わらなきゃと。
都内に何十店舗かある、とあるお店の溜池山王店と赤坂店のターゲット設定に大苦戦したんです。
例えば横浜店と溜池山王店だったら、顧客ターゲットが違いますし、コンセプトも変えられます。ですが、赤坂店と溜池山王店は立地も近いし、どれだけ考えても差別化を図ることができませんでした。それぞれの店舗が顧客を奪い合う形になってしまったんです。
その時に自分1人でやることに限界を感じました。1人では自分で納得できるアイデアが出ないんです。
誰かとコラボレーションしてシナジーを生まないとクライアントを勝たせてあげられない。そう思い、クリエイティブ部門に助けを求めたところ「こういうコンセプト設計があったか」と自分にはないものが見つかり、ちゃんと住み分けることができました。そこから人と協働する価値が理解でき、今まで以上にクライアントに提供できる価値を高められた事例だったと思います。
ちなみに壁にぶつかった時の乗り越え方は、まず3時間はめいっぱい落ち込み、要因を考え反省します。その後ネクストアクションを迅速に決めて動き出すこと。変えられるのは自分だけ。自分の行動や思考を変化させることで、挑むと決めています。そしてたくさん失敗してそれを糧にして、諦めずにやり続ければ必ず成功に繋がると信じています。
正直マネジメントについてはたくさん失敗しました。その中で私のお手本になっているのは、リクルートに入社したときの面接官であり、最初の上司だった方のマネジメントスタイルです。
当時リクルートは「シーガルズ」というアメフトのチームを持ってたんですが、その方はそこの選手だったんですよ。しかもトッププレーヤーで、アメフトのワールドカップの日本代表でクォーターバックという、いわゆる司令塔を担うポジションでした。その時確か世界一位を取っていて、それをやりながら仕事もしてというすごい方でした。
個々の能力を最大限引き出し、強いチームでプレーすることを推進していたと思います。私に対しては細かい指示をするというよりは一緒にゴール設定したら信じて任せる、というスタイルでした。私が試行錯誤しているところは多分見てくれていて、最後の最後、本当に困った時にふと救いの手を差し出してくれる。そんな人。
全員に対してそうだった訳ではありませんが、私自身へのマネジメントスタイルとしては彼のコーチングスタイルは自分の仕事に責任を持って主体的に決めることを教えてくれ、とても合っていたと感じます。
彼がいつも言うのは「答えは自分の中にあって、それを聞いているだけ」と。私が喋りながら整理をするのを待っていてくれます。
彼はやっぱり、人とチームの可能性を信じていたんだと思うんですよ。私も今はそういうマネジメントをしていますし、人の可能性とチームの成長をめちゃくちゃ信じています。私の思考を超えていってくれることが最大の喜び。
そして、組織や会社の風土や個々の特徴に合わせて変えています。
人それぞれ前進できるポイントは違います。また企業も企業ごとにブレイクスルーポイントが違いますよね。そこを感じ取ることをとても大事にしています。
リクルートで様々な機会をいただきましたが、このままだとどこまでいっても営業の人になってしまうと思ったんです。でも私は経営者になりたかった。マネージャーではなくリーダーになりたかったんです。だからコンサルティング会社を起業しました。
自分の挑むべき仕事のスタイルが見えたこと、そして、クックパッドでやることが自分の軸と合致していたからです。
私がクライアントにコンサルティングしていく上で大事にしているスタンスは、結果が出るまで伴走すること。ですが、その時にいつもボトルネックになるのが提案した施策をやりきれる人がクライアント側にいないこと。なのでお客様から「うちに入って北井さんにやってほしい」というお誘いを常にいただいていました。それまではリクルートでも重要な仕事についていましたし、コンサルとしてできることもまだまだあるんじゃないかと思っていたんです。でも、その後コンサルティングを続けて行く中で、「結局外からは解決できない。自分は自分の手で事業を伸ばしたかったんだ」と気づいたタイミングでお声がけをいただいたのがクックパッドさんでした。
私が「やりたい」と思う基準の1つが「私であるべきか」。順調な会社であれば私でなくてもいい。課題があって、困っていて、その状況に対して自分が価値を発揮できると信じられるかどうかを大事にしています。
当時のクックパッドはtoB事業を拡大していきたいけどなかなか経験者がおらず困っている、という状況でした。私はリクルートでtoC、toBのリボン図モデルのビジネスに取り組んできたこともあり、クックパッドでも再現性を持って力になれると思ったんです。
もう一つ大事にしている観点は、 その会社、その事業の伸びしろを自分の物差しで強くイメージして信じることができるか、ということです。
クックパッドの未来に成長性を感じた前提は、まず世間からの認知度がとても高かったことです。様々なお客様に向き合ってきた中で、構築する難易度が高かったのが商品やサービスの知名度を迅速にあげていくこと。その武器を使って、toB事業の戦略を考えた時、私の目には伸びるイメージしかありませんでした。
これほど要素が揃った状況だったのはクックパッドだけでした。だから当時は事業会社に入るなら他の選択肢はなく、クックパッドに行くのか、コンサルティング事業を法人化するかしか考えていませんでした。
また今でも記憶に残っているのが、実は2度断って3度目のお声がけでジョインを決めたのですが、何度も諦めずに私に声をかけてくれたこと、そして金曜日に内定の連絡をいただいた後、週明けの月曜日朝イチに返事をしてほしいという言葉。
「それぐらい自分のことを早く必要としてくれている」という思いも決め手になり、「一緒にチャレンジさせてください」と返事をしたことを覚えています。
クックパッドで手掛けていたtoB事業では執行役員という立場で、営業職のメンバーだけでなく、プランナーやエンジニア、データサイエンティスト、編集部、バックオフィスなど一つの会社を預かるような立場で、事業をつくっていく仕事をすることができました。いまでも代えがたい貴重な経験をすることができたと感じていますが、次に行くタイミングが訪れました。
ただ、クックパッドに行くときは迷わなかったのですが、今回の転職はプレイドに決めるまで相当様々な選択肢を並べて迷いました。
転職を検討してから、いろんなお声掛けをいただいたのですが、ほとんどの企業がCMOポジション想定のお声掛けでした。私がこれまで取り組んできたのはクライアントのマーケティング課題を解決していく仕事。でも目指しているのは経営者。そうだとするならば、toCにせよtoB事業にせよ、CMOは本当に自分が次にチャレンジすることなのか?と悩みました。
そんなときフォースタートアップスの川村さんとお会いし、ご紹介いただいたのがプレイドだったのですが、それが私にとっては新しい気づきでした。
川村さんはプレイドで「こんな役割が考えられるんじゃないか」と提案してくれたのですが、それはCMOでも営業責任者でもない、まったく違う役割。自分のキャリアにもそういう選択肢があるのかと思いました。
その後プレイドとお引き合わせいただき、代表の倉橋と話したのですが「これをやってほしい」というよりは「北井さんがプレイドでどういうことをすると、北井さんにもプレイドにとってもいいのか」ということについてとことん話し合いました。その結果やることになったのがカスタマーサクセスの領域です。
セールスでもマーケティングでもなく、カスタマーサクセス。これは私にとって新しいチャレンジになります。
業界関係なくデータという領域を軸に、すべての企業の事業拡大に貢献できる可能性があると感じたからです。ゼクシィだとウェディングですし、クックパッドは食ですが、プレイドは業界関係なく貢献できるので迅速に日本経済を活性化できる!と。
また、会社として変革期を迎えているけれど、どう変わっていけばいいのか試行錯誤しているという苦悩が感じられたんですよね。リクルートの時も順調な組織であれば私は必要なくて、困っているところにポンと放り込まれて、V字回復して次にパスするっていうことを得意としていました、自分自身そこにモチベーションを感じるタイプなのだと思います。「 困っていない企業だったら、私じゃなくてもいい。」昔から変わらない私の軸ですね。
私は自分の価値観を信じているんです。人から見てどうかはあまり関係ない、自分の価値観で、「ここだったら、全身全霊をかけてコミットメントできる。この会社の未来を心から信じられる。例え苦労しようが、乗り越える自信があるし、パフォーマンスを出したいと思い続けられると信じられたこと」が大きいと思います。
私は仕事はできるだけ難しいことを選びたいと考えています。難しい仕事ほど苦労も大きいですが、成し遂げたときに得られる高揚感はかけがえのないものです。
また、逆に難しいことにチャレンジし続けなければ自身の成長はない。私が経営者になりたかったのは、経営者が一番難しい課題に取り組んでいく必要があると思っているからです。決めて、責任を取っての繰り返し。
課題がない会社はない。そして前に進もうとしている会社ほど課題がある。そんな会社のために力になりたいからこそ、私はこれからも難しい道を選んで自分のバリューを拡大していきたいと考えています。
プレイドとのご縁をつないだフォースタートアップス川村が北井さんとランチをしたときに聞いたのが、北井さんはずっと続けている習慣があるということ。
「カンブリア宮殿」と「ガイアの夜明け」と「がっちりマンデー」を週末1.2倍速で見ながら、紹介されているそれぞれの企業のブレイクスルーポイントを自分なりに言語化をしているそうです。また「日経ビジネス」と「プレジデント」はお風呂で読んでいるとのこと、そのことを取材で聞くと、以下のようにお話されていたことがとても印象に残っています。
「私自身、自分に自信がないから努力するしかないんですよ。それに人って年齢関係なく成長できると思うんですよね。だからこれからも学び続けていきたいです」
また、本文では割愛したのですがファーストキャリアとなる京都日産自動車も日産のフェアレディZというクルマが好きで、クルマの構造や仕組みのことを詳しく知りたくてメカニックのキャリアを選ばれたという北井さん。損害保険会社やリクルートでもとにかく向き合う相手を知りたい、という探究心と向き合う相手が成功するために力になりたい!という想いが北井さんの原動力なのだと感じました。
川村 純也(フォースタートアップス株式会社 ヒューマンキャピタリスト)