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「XRの未来は自ら創る」Thirdverse 伴 哲COOの人生を変えた出会い

コロナの緊急事態宣言で自粛中、『あつまれ どうぶつの森』 や、『フォートナイト』などバーチャル空間内で友人と親交を深めた方もいらっしゃるのではないでしょうか。今回、VRマルチプレイ剣戟(けんげき)アクションゲーム『ソード・オブ・ガルガンチュア』を提供するThirdverseでCOOを務める伴 哲(Satoshi Ban)氏の働き方の軸に迫ります。

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“ニューエリートをスタートアップへ誘うメディア” EVANGEをご覧の皆さん、こんにちは。for Startups, Inc.弘中 寛太(Kanta Hironaka)と申します。

私達が所属するfor Startups, Inc.では累計130名以上のCXO・経営幹部層のご支援を始めとして、多種多様なエリートをスタートアップへご支援した実績がございます。

EVANGEは、私達がご支援させていただき、スタートアップで大活躍されている方に取材し、仕事の根源(軸と呼びます)をインタビューによって明らかにしていくメディアです。

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伴 哲(Satoshi Ban)
株式会社ソニー・インタラクティブエンタテインメント(以下、SIE)にてPlayStation(以下、PS)事業のゲームプロデューサーとして業界経験15年以上。『どこでもいっしょ』シリーズやゲームオーケストラコンサートのプロデューサーを務める。2018年Google入社、ビジネスデベロップメントマネージャーとして事業開発・法人営業担当。2020年6月よりThirdverse取締役COO(最高執行責任者)に就任。

Thirdverseの事業と、社名変更の真相

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-- 早速ですが、伴さんがジョインしたThirdverseの事業と、社名変更の真相についてお聞かせいただけますか。

私は、2020年3月に当時「よむネコ」というVRゲームを創る会社に入社し、2020年6月に「Thirdverse」へと社名変更をしました。新たな経営陣、新たなビジョンを掲げて、会社としてさらに前進するための社名変更です。

Third place + Metaverse = Thirdverse

Thirdverse」という社名は、当社のビジョンそのものを表した造語です。これは ”Third place” と “Metaverse” を組み合わせた言葉です。

「サードプレイス」とは、アメリカの社会学者オルデンバーグ氏が提唱した、自宅(第1の場所)でもなく、職場や学校(第2の場所)でもない、自分の心が落ち着く「第3の居場所」という概念です。代表的な例としては、公園・カフェ・公共施設など、個人によって様々なものがあります。しかし、そのほぼ全てが「現実世界」にあるものです。

近年、VR市場の拡大・技術発展により、バーチャル空間の中に自分の居場所を創り出すことが可能になりました。これまで株式会社よむネコ(旧社名)は「最高に居心地がいいと感じられる空間の中で、複数ユーザーのインタラクション環境を作り出し、社会の発展に貢献すること」を会社のビジョンとしながらVRゲームの開発を続けてきました。

2019年にリリースしたVRマルチプレイ剣戟アクションゲーム『ソード・オブ・ガルガンチュア』においても、先日の大規模アップデートで「オンラインラウンジ」を追加し、バーチャル空間での居場所創造・コミュニケーションの促進を推進してきました。

そして今後、より強くバーチャル空間(Metaverse)における ”Third place” を創り続けていくという信念のもと、新たな社名を ”Thirdverse” としました。

『メディア学部』一期生と就職氷河期を経験した学生時代

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-- 今は日本を代表するXR企業のCOOになられた伴さんですが、学生の頃から今までのキャリアの変遷をぜひお聞かせいただけますでしょうか。

高校卒業までは栃木県宇都宮市で育ちました。小中学生のころは普通のゲーム好きの少年だったと思います。高校時代には父のパソコンを使い、Basicで簡単なシューティングゲームなどを作って遊んでいました。将来はデジタルエンターテイメント産業に就きたかったのですが、当時の栃木県にはあまりそういう職業はなかったので、東京にでることにしました。

大学は東京工科大学メディア学部に入学しました。この大学を選んだのは『メディア学部』というデジタルエンターテイメントが学べ、かつ新設学部だったの1期生として「まだ何もない」ところからスタートできるところに惹かれました。この大学ではコンピュータサイエンスのほか、CGアニメーションなどを学んでいました。

就活が始まったころ、当時は就職氷河期だったこともありトータルで70社ぐらい受けてましたが、最初は全く内定も取れずに落ち込んでおりました。いったんコツを覚えると内定が取れ始めたので、最後は就活自体が楽しくて色々な業界を受けていました。

結果的に、一番やりたかったデジタルエンターテイメント業界のソニー・コンピュータエンタテインメント(現:ソニー・インタラクティブエンタテインメント。以下SIE)から内定をいただいてゲーム業界にはいりました。ちなみに、この会社以外のゲーム会社は全滅でした(笑)

ソニー・コンピュータエンタテインメント(以下、SCE)には「アシスタントプロデューサー」として入社しました。私はゲームの制作進行管理に興味があったのですが、当時のSCEの募集職種にはそのような職種はありませんでした。そこで応募時に勝手に希望職種を「その他」と書いて応募しました。運よく面接に進め、自分のやりたいことを説明したら「それならアシスタントプロデューサーとしてやってみな」と声をかけていただき内定をいただきました(その年に制作関係で入社したのは「その他」と勝手に職種を増やして応募した僕だけだったので入社後に驚きました)

PlayStationと共に歩んだSIEでの経験

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プロデューサーを担当をしたPlayStationの
マスコット的キャラクター「トロ」「クロ」と

--  SIEの中では入社してからどんな仕事をされましたか?

入社して最初の年(2003年)は、PSP「プレイステーション・ポータブル」のゲーム制作部署に配属され、アシスタントプロデューサーとして様々なゲームタイトル開発に関わっていました。

2007年には、PlayStationのマスコット的キャラクターの「トロ」というネコのキャラクターゲームの担当になりました。これが私のSCEでの大きなキャリア転換期でした。トロのプロデューサーとして約10年、ゲーム開発だけではなく、オンラインサービスの運営、ライセンスマネジメント、マーチャンダイジングなど、このキャラクターを通して様々なことを経験できました。

結果的にSIEには15年ほど在籍しました。PlayStationが好きだったのに加え、在籍中にPlayStation2, PSP, PlayStation3, PlayStation4, PlayStation VRと、次々と新しいゲームハードが生まれ、そのたびに新しいチャレンジをさせてもらえたので非常にエキサイティングなゲームクリエイター生活をしていました。

ただ、唯一SIEで満たされなかったことが「PlayStation事業しかできない」ということでした。PlayStation以外のことをやりたくても、当然予算もつかないし、そもそも活動自体を認められない。あたりまえですよね、PlayStation事業をやるための会社なのですから。

しかし、プロデューサーとしての自分のキャリアを考えても一歩間違えば「PlayStationのスペシャリスト」ではなく「PlayStationしかできない人」になってしまいますし、なによりどうしても他のエンタメの仕事もしてみたかった。

そのため、自分で社外の協力者を集めてPlayStationのゲーム音楽を使ったオーケストラコンサートを開催したり、ソニー本社のエンジニアと一緒に部活的活動で作ったアニメの聖地巡礼アプリ「舞台めぐり」というサービスをリリースしたり、積極的に新しい領域を開拓していきました(当時、快く黙認してくれていた上司の皆様には感謝しかございません)

自分が一番になれる領域を見つけて最年少プロデューサーへ

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-- ゲームプロデューサー以外としても、様々な活躍をされていたのですね。伴さんがSIEで最年少プロデューサーになった経緯を教えていただけますか。

当時、社内で自分のやりたいプロジェクトを実現するためには、プロデューサーになることが一番の早道でした。最年少でプロデューサーになったのは結果論なだけではあるのですが、自分なりに戦略的に社内でのキャリアを設計していました。

プロデューサーになるためには、会社から「このジャンルならこの人に任せよう」と思われる必要があるため、まずは自分が一番になれる領域を持つことが重要でした。例えば、僕は一番好きなのはRPGなのですが、当時、社内のプロデューサーでは「PRGといえばこの人」という人が既にいました。つまりいくら私がRPG好きと上司にアピールしても、まず自分にはバトンは回ってきません。

そのため、自分でチャンスを引き寄せるためには「他の人たちがまだ持っていないスキル」かつ「それが数年後には必須トレンドと予想できるもの」にフォーカスしました。今となっては必須要素になっていますが、当時はオフラインゲームが全盛の時、社内で誰もやっていなかったオンラインゲームの運営や外部会社とのIPコラボレーションなどを積極的に仕掛けていきました。『週刊トロ・ステーション』というオンラインサービスでは長期運営のギネス記録を取得し、トロというキャラクターを使った様々なコラボレーションを実現することができました。

その後、結果的に最年少でプロデューサーに抜擢していただきました。あの当時、自分と同じスキル・経験を持ったプロデューサーは他にいなかったので、上手く自分を差別化できたのだと思いました。

ただこのやり方は諸刃の剣のようなところもあります。「誰も持っていないスキル(=まだ必要とされていない)」「これからトレンドになりそうなもの(=まだトレンドではない)」というモノばかりやっていると、あまり社内に味方が増えないのです。常に「あいつなんであんなことやってるんだ?(他にやることあるだろう?)」と言われ続けます。それでも折れずにやりきれるかどうかが、その後の差別化につながるのだと思います。

-- なぜそのような誰も選択していないような道を選べたのでしょうか?

新人の頃に上司からうけたアドバイスから大きな影響を受けています。当時、開発現場に行って一番苦労したことは「誰も僕の意見を信用してくれない」でした。ベテラン勢がそろっている開発現場からしてみれば、大学卒業したての新人がプロデューサー(見習い)として入ってきて、自分なりのゲーム論で意見をぶつけてもまず勝てないのです。圧倒的に開発経験やゲーム知識に差があるためです。

そんな時、当時の上司に言われました『お前が勝てる方法が一つある。それは、今流行っているゲームと、これから流行るゲームに詳しくなることだ』と。それなら過去のキャリアは関係なく、全員が同じスタートラインで対等に議論することが出来ます。このアドバイスは今でも常に意識しています。

ゲーム業界のキャリアからGoogleへの転身に込められた意図

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Googleのアメリカ本社にて

-- Google へはどういう経緯で入社したのでしょうか?

SIEではゲームプロデュースのほかにビジネスデベロップメントも兼務していました。ゲームプロデューサーとしては十分な経験ができましたので、新しいチャレンジをするために事業開発方面で転職を意識しはじめました。2018年頃のことです。

そのタイミングで Google から声をかけていただきました。当時、いきなりシンガポールの人からメールが来たので驚きましたが、話を聞いているうちに非常に面白いチャレンジだと思いましたので採用面接を受けることにしました。

Google にはビジネスデベロップメントマネージャーとして入社しました。Google Mapsのテクノロジーをゲーム業界向けに導入する事業開発担当です。代表的な例だと、『ドラゴンクエストウォーク』や『モンスターストライク』等でも採用していただいているサービスです。


-- なぜゲーム業界のキャリアから大きく変えたのでしょうか?

ゲーム業界からIT業界への転身のように思えますが、実際はゲーム業界にむけた事業開発でしたので、前職の経験やコネクションをそのまま業務に活かすことができました。

ありがたいことに、他のゲーム会社からも色々とオファーはいただいていたのですが、当時のコンソールゲーム市場もモバイルゲーム市場も成熟しきっている状態でしたので、新しいチャレンジは難しい状態でした。また、全世界的にゲーム制作の開発費が年々増加しており、その金額はいちゲームプロデューサーとしての経験だけでは扱えないほど巨額なものとなっていたので、今後もプロデューサーとしてゲーム業界に関わっていくためには事業開発のスキルも必要になると思い、一度ゲーム開発から離れて事業開発のキャリアを積もうと思いました。

キャリアの棚卸と、for Startupsの介在価値

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-- for Startups との出会いはどんなきっかけだったのでしょうか?

SIEに在籍していた時から、自分のキャリアの棚卸のために定期的にエージェントには会っていました。転職のためではなく、一年毎に自分のキャリアが市場からどう見えているのか客観的にレビューをしてもらうためです。毎回色々なエージェントに会っていました。

その流れで、Googleに入ってからも自分の中の定期イベントとしてエージェントに会うことにしました。その時にお会いしたのが、ヒューマンキャピタリストの弘中さんです。

-- 懐かしいですね!そういえば、どうして私に返信をくれたのでしょうか?

実は、for Startups, Inc.の志水社長と、SIE在籍時にキャリアの棚卸しをしていた際にお会いしたことがあります。その時、他のエージェントとは違った提案をしていただいた事だけは明確に覚えています。他エージェントがゲーム会社軸で私のキャリアプランを考えてくれた中、彼だけが私のキャリアをみて、スタートアップ企業を軸としたアドバイスをしてくれました。

Google 入社後、for Startupsの方から連絡をいただいた時、志水さんの件を思い出し、スタートアップというキャリアを意識しました。ありがたいことにfor Startupsの複数のご担当者からからアプローチをいただいていたのですが、その時はその中で「一番若者だから」という理由だけで弘中さんへ返信しました(笑)。

私の興味はエンタメやテクノロジー業界にあったので、たまたま弘中さんがXR業界に強いヒューマンキャピタリストだったのは幸運でした。

-- 伴さんが色んなエージェントとお会いしてきた中で我々が提供できた価値は何でしたか?

「出会い」ですね。どこのエージェントと話をしても、似たような案件を紹介される中、「gumi会長の國光さんを紹介しますよ」と案件紹介もせずに、いきなりXR業界の中心人物とつなぐ提案をしてくれたのは弘中さんだけでした。

そのきっかけが國光さんと初面会だったのですが、お互いにVRについての可能性を語り合いながら1時間の予定が2時間になり…最初から5時間くらい話してしまったことを今でも鮮明に覚えています。

Thirdverse COO一年目の業務内容とは

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-- 今は Thirdverse のCOOとして具体的に何をしているのでしょうか?

現在は、VRマルチプレイ剣戟アクション『ソード・オブ・ガルガンチュア』のプロデューサーをしながら、会社の組織作り、カルチャー作り、採用戦略などを担当しています。

ゲームプロデューサーとして、コンテンツの開発戦略や品質改善を担当しながら、同時にそれを実現できる開発組織を作りにも着手しています。SIEやGoogleの時は人材もオフィス環境も十分なリソースがありましたが、スタートアップは全て自分たちで開拓していく必要があり、仕事のカバー範囲は非常に広いです。

入社直後は、東京都で緊急事態宣言が発令されたタイミングでしたので、最初の仕事は『全社リモートワーク化担当大臣』でした(笑) 。弊社はわりと早いタイミングで全社リモートになる意思決定をしたので、世間が混乱し始める前にリモート化を完了させることができました。

VRという技術そのものは、リモートワークとの親和性を強く感じられるのですが、当時の弊社における「VRゲーム開発」はリモートワークには向いていませんでした。開発にはハイエンドゲーミングPC(デスクトップ)が必要なため、気軽にノートPCのように持ち帰って、というリモートワーク化はできません。また、自宅で開発用のVR機材を展開する仕事専用のスペースも必要なので、普通のリモートワーク化よりも難易度が高かったです。

また、弊社のほどんとのスタッフはビデオ会議等をメインにしたリモートワークの経験がありませんでしたし、コミュニケーションツールやセキュリティポリシーも十分に整備されていませんでしたので、最初はとまどうスタッフも多かったです。しかし、このあたりは私自身がGoogleでグローバル規模のリモートワークなどを経験していたこともあり、その時のノウハウやカルチャーをThirdverse向けにカスタマイズして共有することで解決することができました。

コロナ禍によって世の中の働き方が大きく変わり、会社にはリモートワーク制度が求められ、スタッフにはリモートワークで成果を出すためのスキルが求められるようになりました。今後、優秀なクリエイターを採用していくためにも、リモートワーク環境を整備することは必須だと感じています。Thirdverseは『VR推進企業』でもありますので、今後も積極的にリモートワークで成果を出すための改善を続けていきます。VR世界にサードプレイスを創ろうと掲げているわけですから、リモートワークぐらいでつまずくわけにはいきません(笑)。

これから弊社が制作していくゲームタイトルは、全ては2030年までの『Thirdverse構想』ロードマップを実現するために必要なノウハウ得るためのものです。今後は、弊社がかかげる『Thirdverse構想』を実現するため、経営リソースのフォーカスをずらさないように会社全体を導いていく存在になる必要がある、と思っております。

波に乗るのではない。XRの未来は自分達で創る

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-- 國光さんとの出会いで、伴さんのXRについての考え方はどのようにupdateされましたか?

先ほどもお話しましたが、唯一SIEで満たされなかったことは「PlayStation事業しかできない」ということでした。私がSIEに在籍していた約15年間で、さまざまなエンタメ市場が生まれました。たとえば、任天堂のゲームプラットフォームや、モバイルゲーム市場などです。これらの市場が、ゼロから10へ、さらに10倍、20倍と拡大していく一番エキサイティングなタイミングが何度もあったのに、横目に見るだけでその市場でチャレンジすることができませんでした。Googleにいても同様です。プラットフォーマーにいる限り、当然自社のプラットフォームで事業することが求められます。

國光さんはゲーム業界でも有名人でしたので、彼がXRにコミットしているのも知っていました。私自身、SIEの時にPlayStation VR向けのゲームを創ったこともありましたので、VRがゲーム業界において次のトレンドになる確信を感じていました。一方で、VRが市場拡大するのはもう少し先かなとも感じていたんです。

私がVRが市場拡大するタイミングでその波に乗ろうと考えていた中で、國光さんは何年も前から「”自分が”XRの未来を創る!世界を獲る!」と言っていたのです。これまでXRの未来を語る人には何人も会ってきましたが、國光さんが一番ビッグピクチャーを描いていました(一番難易度も高そうでしたが。笑)。それに加えて、國光さん自身が一番リスクを取ってこの事業にチャレンジをしていることに惹かれました。

XRの未来を創りたい者へ告ぐ

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-- 國光さんの自らリスクをとっていく姿勢をみて、共にやっていきたいと思ったのですね。最後に、このインタビューを読んでVRの領域に興味を持った方へ一言いただけますでしょうか。

ゲーム業界において、新しい市場誕生と爆発は5年に一度ぐらいのペースでしか起こりません。今、この市場が生まれる直前のタイミングで「”自分が”XRの未来を創る!世界を獲る!」と言うファウンダーに出会えたのは運命を感じました。このチャンスを逃したら、またあと5年待たなければいけなくなる。しかも、5年後にこのような出会いがあるとも限らない。当時私は39歳、5年経ったら44歳。そんなの待てません。そう考えたら、VR市場で新しいチャレンジすることに迷いはありませんでした。

『バーチャル空間におけるサードプレイスの誕生』、これは近い未来に確実に起こります。この概念は、映画・アニメ・コミックなど、様々な表現物で語られてきましたが、いよいよ時代が追い付いてきました。VR市場の拡大・技術発展により実現可能な条件がそろってきました。あとは、誰が一番最初にそれを実現させるかの勝負です。

今回社名を変更したのは、「Thirdverse構想」のもと、新たな決意をもってVR市場にコミットするためのものです。VR市場はここから数年が一番エキサイティングな時期になると思いますので、弊社のビジョンに共感いただけた方は、ぜひご連絡ください。一緒にバーチャル空間にサードプレイスを創っていきましょう!

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EVANGE - Director : Kanta Hironaka / Creative Director : Munechika Ishibashi / Assistant Director : Yoshiki Baba / Assistant Writer :Ryohei Watanabe, Yuto Okiyama / PR : Hitomi Tomoyuki / Photographer : Jin Hayato

Produced by for Startups, Inc.

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